静かに進行する歴史のまち「原町」の危機
町制(原の町)から百年目活力欠ける経済界の風土
原町市はじめ相馬郡と双葉郡の一部で構成される旧相馬藩の伝統行事、福島県を代表する祭り「相馬野馬追祭」が、いま危機に瀕している。文化庁が指定した、重要民俗無形文化財が取り消されるかも知れないという心配が、地元の関係者の間でささやかれているのだ。原町はおりしも「町」になってちょうど百年目にあたる。野馬追の里として売り出し、発展してきた町だけに、この原町の百年目の危機は、町づくりの根幹である地域個性に関わる。
改変された野馬追祭
話は二年前の野馬追の里歴史民俗資料館の開館を記念した、高橋富雄県立博物館長の講演で「野馬追祭は伝統行事と言いながら、現在行われているイベントはまったく史実とかけはなれた観光行事でしかない」と苦言を呈したことに発する。
地元識者の間では、このことを指摘する人もあった。実際、藩政時代が終結したのと同時に、明治という近代になってから、まったく別な祭りと言ってよいほど変貌した。それからすでに百年の歳月がたってしまった。
百年目の祭りは、独りある気して伝統とは言えないようなところまで辿りついた。
実態はどうなのか。今年は県から懸田訓弘文化課長が野馬追視察に原町市を訪問した。高橋権利久博物館長の苦言という前段があるだけに「相馬野馬追祭は文化財指定に値するか否か」の見極めの視察であることが知れるというものだ。件の公式見解はまだ発表されていないが、今年の野馬追は同じ文脈で、野馬追の伝統文化論議を刺激する別な話題が持ち上がっている。
東京から取材で来た出版社のカメラマンが
「甲冑競馬という言葉にひかれて撮影に来たが、騎手はみな甲を脱いで走っているし、軽装だ。甲冑というのは兜と鎧で甲冑なのだから、これはでは看板に偽りありではないのか。「レースぐらいは本物の鎧兜で武装した騎馬競馬をやってくれないと、甲冑競馬の撮影の仕事にならない」
と怒って帰京したというエピソードが、このところ原町では問題になっている。
「こんなカメラマンの危険が中央の出版関係者の間に口コミで伝わると影響が大きいのではないか」
似たようなケースは以前にもある。
地元の原町青年会議所が主催した野馬追シンポジウムで、パネラーとして出席したNHK福島放送局の次長が、取材するためスタッフとともに市内の旅館に泊まった経験を話し、すし詰め状態で平常料金よりもかなり割高の料金をとられた」と旅館の暴利を指摘。居合わせた観光協会長や旅館関係者をあわてさせた。
「何もこんな公衆面前の公開の席でそんな話を暴露しなくても」と、実態調査に振り回された。
もともと江戸時代の野馬追見聞記にも、野馬追祭期間中の原町の旅館は雑魚寝が一般的。すえたにおいのする豆腐を出す宿もあったという記述があるくらいだから、地元での慣習というのは近代百年を経ても、急には改善されないのかもしれない。