18 興亜馬事大会
 代々木練兵場には、全国から選りすぐられた名馬ばかりが特設の厩舎に千七百頭集められており、その有様は言葉もない程の見事さであった。
 特設の厩舎もさることながら、毎日陸軍の馬の係がトラックで馬を運んでいる。馬糧は持参するようにとの達しではあったが、馬に関しての扱い歯、このうえもなく慎重であり配慮され、至れり尽くせりの印象を上京野馬追参加者たちは強く感じた。
 この時、三十二歳で組頭として参加した半谷猶は回想する。
 「日本は偉い国だなあ。これほどの数の馬を一か所に集めて、しかもこれほどの行事をする。この国は戦争に負けることはない」
 と思ったという。
 野馬追の演目は、興亜馬事大会の代位日日目の「古式馬術之二」として、第十四番目に行われることに決まっており、与えられた時間はかっきり十三分で、大会の開始時間は午前十時五分で、終了時間は午後二次。ぎっしりと十八演目のスケジュールが組まれている。演技時間の超過はもとより許されない。
 上京野馬追の参加者は練兵場で、佐官の担当将校の指揮のもと、厳しい予行演習を課せられた。
 「いやあ、あれはきつかった。毎日指導が厳しくて、たっぷり絞られた」
 と前述の半谷氏は言う。
 ただし、練習は午前中で終わり、午後は宿舎に帰って暇を持て余した。百人の野馬追参加者は二つの宿舎に分宿して泊まった。あまりに高級な旅館ではなかったが、地殻野焼き鳥屋で祝杯を上げたりして大会当日を祝った。
 四月七日まで関東地方は雨が地で予行演習も雨の中で行われた。
 参加者は毎朝、省線の電車に乗り、二つばかりの駅を経て代々木に降りる。そして愛馬の世話をした。
 けれども、馬事大会当日の七日は、雨はぴたりと止み、晴れた。
 うやうやしく大会の開幕が告げられ相馬地方代表として参加している野馬追の武者たちは、緊張しながら大会の演技を見守りつt出番を待った。
 農林省と陸軍省が発行した、馬事大会「演技実施要領」によって、当日の次第を追ってみると、次のようになる。
   一般騎馬の一
第一
 馬場運動(全国騎馬愛好家代表)
  三六名 三六頭
   古式馬術の一
第二 母衣引(実施セズ)
第三 流鏑馬(騎射)(各派代表)
後略

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