幻の天覧野馬追秘話
44年ぶり写真・記録に光
 秘蔵写真特集
 国威発揚の馬事大会
  相馬地方から百騎が参加
 太平洋戦争の開戦直前の昭和十六年四月七日、農林省と陸軍省の主催による興亜馬事大会という壮大な行事が行われた。相馬地方を代表して、野馬追関係者百三十五名と百騎の名馬がこれに参加した。当時はこれを上京野馬追と呼び、こんにち参加者は天覧野馬追と称して回顧する。
 戦後、マッカーサー占領軍最高司令官の軍国主義抹殺司令によって、野馬追祭礼の実演や、写真掲載(毎日新聞において野馬追の写真がカットされた)が禁じられたり、帯刀を禁止のうえで執行が許可されるなど、伝統行事にも制限が加えられた。
 天覧野馬追は、野馬追千年祭とならんで、戦前の野馬追の最も華やかなりし頂点に位置する。しかしながら、戦後の野馬追史研究のうえでも、この一大イベントは忘れ去られ、公的な記録には一行も記載されてこなかった。
 幻の野馬追ともいうべき天覧野馬追の貴重な資料と写真を構成して、三回にわたって本紙あぶくま新報社では紙上に再現する。
 「上京野馬追」参加者有志の代表は、当時の相馬農蚕学校長佐藤弘毅氏、侍大には同校の牛来不二夫氏。総大将には旧相馬藩主の一族で東京在住の相馬甫胤氏。各郷から(相馬・原町・浪江)軍者が一名ずつ。組頭や御使番などは各郷から選抜する形で任命され、参加者全員について身分調査されたという。
 当時の資料から名簿を見ると、参加者は騎馬が中心で。参加者の出身や年齢、特徴などが詳しく記され、この大会が名の通り「馬事」中心であった様子がうかがえる。

 あらまし

 天覧野馬追が行われたのは昭和十六年四月七日のことだが、翌八日は一般公開された。
 七日の第一日目まで代々木練兵場では厳しい予行演習が行われ、野馬追にとってまことに類例がなかった。

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