16 幻の展覧野馬追
小高町大井の半谷猶清は、野馬追狂の一人だ。その半谷が、このごろ野馬追に関して不興である。
理由は、この夏発行された「相馬の野馬追」と題する相馬野馬追保存会の小冊子が原因だ。
同保存会が、野馬追祭に売り出すためのガイドブックを発行するとの新聞記事を読んだ半谷は、翌朝は知事半十分、原町市役所に電話を入れた。
昭和十六年四月、展覧野馬追が挙行されたという事実が、これまでの公史には全く記載されていないので、是非ともこれを記述し、後世に残すべきだとの趣旨であった。資料は手元に用意してあるので情報提供しよう、と半谷は加えた。
門馬市長の返答は実にていねいなもので、さっそく掛かりの者を差し向けるからよろしくお願いする、という内容であった。
半谷は、先に刊行された「相馬野馬追史」にも批判的であった。渡辺敏前原町市長(前執行委員長)と故伊賀敏軍師の体制による昭和五十六年に、保存会名義で発行された公式記録である。
「あの本に、当然(天覧野馬追のことが)載せられるものとばかり思っていたが誰もそのことを知らない。知っていても無視されたのかどうか。どれで今度のガイドブックの話が出たので、わざわざ電話で知らせた。あんな大事な歴史を洩らすようでは、野馬追の歴史にはならない」
と半谷は、おおいに不満であった。
半谷は、係なる者を待っていた。野馬追を愛し続けてきた長老として、晴れがましい一ページを記録せねばならぬ。そんな義務感が半谷の心を占め、心待ちしていたのだ。
しかしいくら待ってもついに係の者は半谷の所へは来なかった。楽しみにしていただけに、半谷の失望は大きかった。
野馬追そのものの準備のために人の出入り行き来がせわしくなり、半谷は野馬追保存会の次長青田敬に会う機会をとらえて、再び市長(保存会長でもある)に申し入れた事項を問いただした。
「青田さんの話だと、もう決まったことだし、(記述することは)無理だろうということだった。係の者の名前も聞いたが、その係の者が市長から命じられても(うちに)聞きに来なかったのか、どうなのか判らん」
ともかく、せっかくの半谷の善意の申し出は無駄に終わった。
出来上がったガイドブック「相馬の野馬追」を半谷は早速買ってはみたが、どのページにも天覧野馬追については記されておらず、不満はくすぶり続けたままであった。
「二、三行でも良いんだ。前の本でも今度の本でも、今の野馬追ではどうのこうのという綴り方なんかは、いいんだ。一体、係の遠藤君というのは、どうして(うちに)こないのか!」
半谷の熱意に打たれて筆者は幾度も藩谷の自宅へ伺ったり、電話連絡で教示を受けたりすることになった。それにしても天覧野馬追とは、何なのであろう。
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