06 甲冑師
相馬市北町に、橘甲冑工房がある。主人の橘サトシ氏は、相馬野馬祭にはなくてはならぬ人物である。橘は、彼の人生も毎日の生活も相馬野馬追のためにあると言っても過言ではない。彼は甲冑師という現代には稀なる職人なのである。
相馬中村城址のお堀のほとり、相馬市北町の彼の仕事場を訪れた折に、彼の口から出た言葉は、思ったよりも悲観的なものであった。
「純国産の材料だけで鎧を仕上げるということは、もはや限界があります。例えば、鹿の皮一つをとっても、外国産のものを使おうと思えば使える。
だが、旬国産の材料だけで日本の鎧を仕上げるという行為が困難になる状況の到来しても、最後まで抵抗したいんpだと橘は語る。
「自分の仕事の、それが良心みたいなものなんです」
日本の国内で産する材料で日本の鎧を作ることにこだわり続けることが、現代のようば国際時代では、どれほど時代遅れなのかを誰よりも自覚している者自身が語っている。それが面白い、と私は思った。
「それが文の仕事の評価になってゆくんだと思う」
橘は、ぽつりと最後にこう語った。
真夏の三日間だけ、ぎらつく太陽の下で、夢現の如く出現する過去の時代の祭りは、多くの威勢良い若者たちの出場によって成り立っているが、彼等の職業は農業であり、タクシーの運転手であり、左官であったり、建設会社の会社員、商人などだ。いわば三百六十二日は、直接に野馬追祭礼とは無縁の職業に就いている。こrに比べると橘の職業が特異である。
彼は、相馬野馬追祭に出場する者たちの甲冑の補修や製作によって生計を立てる生きがいを見出し、まさにひと呼吸ひと呼吸が野馬追祭のためにある。
甲冑師としての自覚は、いつごろから持ったのか、と私は質問した。
「父の死後、仕事の方法が判らなくなって悶々としていた時に、死んだ父に教えられたという体験がある。あの時は、夢日記のようなものを書いておりましてね。自分でも意識しないで記録していたものを、あとで読んでみると、ちゃんとそこに仕事の手順が書いてある。精神分析では潜在意識がそうさせたと説明するんでしょうがね。私にとっては父に教えられたと考えるほうが合理的に思えるし、その方が便利なんですよ」
橘は、父について甲冑師としての仕事を学んだ。伝統文化を継ぐものとしては、それなりに心構えは出来ていたのだろうが、父の死が彼をして本格的な一人前の職業人としての自覚をより一層促した、とは言えるだろう。
しかも、死後においてさえ父の霊が子の職能に関与して霊感を与えるということを、私は深く信ずるのだ。
「こういう仕事をしておりますと、まわりの人から何かと慰められます。すると、自分が続けてゆかなくちゃ、という思いになる。」
伝統文化は何百年もの命をもって生き続ける。人の力を借りて生き継ぐ。
大いなる天の導きを、思わずにはおられない。
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