52 野馬追列車
 原ノ町駅前のホテル伊勢屋には、テレビ映画「おんな風林火山」に出演する大部屋の役者たちが宿泊した。スタントマンなども一緒だった。そのほとんどがかつての「関ケ原」(TBS制作)に出演した経験を持ち、今回も同じ顔触れが同じ宿に泊まった。
 さて、地元からアルバイトで出演した高校生諸君のギャラは、徒歩役が一日の日当五千円。馬付きだと五万円也。これが二日の日程で、出演騎馬総数はのべ二百騎。ざっと二千万円の経費が地元へ落ちる。野馬追振興に重要な「カネ」の問題を抜きにして、野馬追あれこれを論ずるのは難しい。
 馬の文化を定着させるのは、馬とのふれあいを、どう日常化させるか、馬にちなんだビジネスをどう成功させてゆくかという問題になるだろう。野馬追を、高尚な趣味から、犀星さん可能なビジネス・サイクルへ乗せてやることが必要だろう。
 一般家庭で、この地方ほど多く鎧兜を所蔵しているという土地はなかろう。まして一年に一度の祭りのために馬を飼うという家庭があるなど、きわめて豊かな潜在力を秘めた地域と言わざるを得ない。
 ただし、これを産業化してゆくための方策は、なまなかな努力では実現できぬし、逆に今までの行政、産業、住民の民度まで、きびしく検証されることにもなろう。
 田舎の、ユニークな祭りで終わるか、世界に誇る文化財として洗練されてゆくか、現代こそ分岐点である。
 今から二十年前に「相馬野馬追は消滅してしまう」といううわさが飛び交っていたと、時代劇作家の早乙女貢氏が十月一日の文化講演で語っている。
 高度経済成長期には、伝統文化は足手まといでしかなったのであろう。
 今年の野馬追祭には、空前絶後の七百人にのぼる団体客が来訪した。
 原町商工会秘書も構成メンバーの一員である常磐線沿線商工会議所連絡協議会が、研修視察のために「相馬野馬追列車」を仕立ててやってきたのだ。
 昨年は第一回目の企画として筑波科学博を視察した。
 今年は二回目の企画として相馬野馬追が候補にのぼり、原町商工会議所は受入れ側のホストとなった。
 一泊二日の日程も、案として無いわけではなかったが、参加七百名の団体客が一堂に会し、また一か所に宿泊可能な施設が近隣には皆無と判って、結局日帰りのスケジュールに決定された。
 七月二十四日の野馬追当日の、案内役の地元商工会議所は、朝から天手古舞である。職員全員が一丸となってあたった。
 まず土浦、石岡、水戸、勝田、日立、いわき等の各地からの参加者を、富岡駅まで出迎え、それぞれ職員が手分けしてバス十六台に分乗した。車中で野馬追祭についていろいろと説明した。
 原町では別動隊の職員が、駐車場の確保に当たる。
 原町商工会議所だけでは員数が足りず、相馬商工会議所へも応援を求めた。
 事務局長の豊田稔は、ふるかえって語る。
 「ミスはらまちにも応援して頂きまして、観光協会さんにはお世話になりました。帰りは、駅まで見送りに行きましたが、みなさんからは細かな配慮に感謝されました」

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