ドキュメント相馬野馬追 4 鎧の呪い 上
甲冑武具研究保存会の福島県支部長をつとめる小山田寛は、全国甲冑会の総会が山口県で行われた時に、甲冑武具の収集家として高名な西村重則氏と同宿し、氏から不思議な話を聞いている。
西村重則氏は、山口県岩国市に個人で甲冑武具博物館を設立運営している人物で、この博物館は戦国時代の名だたる武将の使用した国宝クラスの甲冑武具が珍しくないほどのコレクションを持っている。
この人物と、宵の八時頃から一緒に風呂に入っては話を聞き、とうとう午前一時半を過ぎる頃まで、延々と話し込んだ。意気投合というのであろう。小山田氏は根掘り葉掘り西村氏から話しを聞いた。だが、西村氏の話は想像の出来ないようなものだった。それは、人間がいちど死んでみなければ判らないような世界の話であった。しかし、あながちうそとも思えない真実の裏打ちがあり、肯定せざるをえないような内容だった。
端的に言おう。
私は、小山田支部長に尋ねたのである。甲冑研究保全会の会員というからには身近に甲冑に接する機会も多かろう。古い、しかも戦闘の道具である。非業の死を遂げた武士も多々あるだろう。それら横死者たちの無念の想いは、甲冑にまつわりついているのではないか。すなわち鎧兜には、呪いがあるのではないかと、いきなり質問したのである。
小山田支部長は、慎重に言葉を選び、誤解や曲解を極力避けるような言い回しで、しかも自分自身の私情や判断をまじえずに、西村重則氏が買った話として、こんな風に言った。
「なにぶん、立証できないことですし、目に見えない世界のことですからね…。どう言ってよいものやら…。西村説によると、ですね。そういうものは(鎧の呪いは)なければおかしい。あってあたりまえだ、というんです。」
ええっ。同行した記者三人の訪問者を迎えたのが午後三時過ぎ。初対面で一気に話をおえて、気がついたのは六時半ことであった。
まるで、西村重則氏が小山田氏にものがった話を、今度はわれわれがその場に釘付けされたように聞かされたのである。それは世にも不思議な体験の話であった。
西村重則氏は、十八歳の時に、四国の何番札所かのお堂に入って、うたたねをしていた時に、夢枕に弘法大師が立って、こう伝えたという。
「お前は、全国に散らばっている戦国武将の甲冑武具などが、名もない取引道具になっている、それらを用いた武将の霊たちは、これに耐えられずに嘆き悲しんでいる。私が力を与えるから、使命としてお前は収集せよ」
そういって消えたというのである。