鎧の呪い
原町のAさん(六三)は、兄からゆずって貰った甲冑で、困った経験があるという。実は甲冑を置いたら、不思議に夜眠れなくなってしまったという。人に貸せば理由もなく鎧が損傷してしまう。どうにも気味が悪くなって、また兄の家に返上してしまったという。
 結局、その甲冑は夏のひととき、Aさんの家に置かれただけだった。
 「長いことやってるがねえ、そんな迷信みたいなことは、絶対にないよ。色々と先輩たちからは聞かされたことはあるけど、信じませんね」
 鹿島町で甲冑武具をはじめ骨董品を扱っている塙薫は断言した。
 原町市の国道沿いの大型店エスパークで、甲冑と書画骨董の展示即売会を開催中の同氏をたずねた。その時に即座に帰ってきた答えである。
 「しばらくだね。あんたとは十年ぶり位かな。今まで小山田さんと、小高の佐藤幸治君(表具師)が来てたとこだった」
 「オレがこの道はじめたのは十五年前でね。十歳の頃から、甲冑が好きで野馬追というと腰弁当で見学してた。この展示会にも、小学生が毎日通ってくるよ。好きなんだなあ」
 甲冑と野馬追が好きで好きでたまらない。そういう少年の自分の姿を見るような気持ちなのだろう。
 「本当にそうなんですよオ。兄弟でねえ。毎日見に来るんです。今日もそろそろ来る頃かしらねえ」
 隣で奥さんがさかんに相槌を打つ。
 「要するにね、こう思い増すよ。鎧を以てる人の気持ち次第ですね。私はこの職業に歯本気で取り組んでいますからね。蛇に化けた刀なんていうのもずいぶん扱ったけど、何も起こらないですよ。それから血のりのついた刀とか鎧とか、傷のついた刀とか鎧とか、傷のついた武具なんて、数多く扱ったいれば出てくる。でも、かえってそういうふうなものほど、愛好家には喜ばれることがある。このあいだも、鉄砲の玉が七つも当たった鎧があった」
 「甲冑というのは、身を守る道具ですからね。戦闘で使われたものでなければ面白くないという人もいます。傷があれば三割増しというのが、この業界の相場です。ちゃんと基準があるんですよ。よく、値段をいかげんに付けてるんじゃないかと言われますけど……」
 そう言って、「刀剣要覧という辞書のような書物を見せてくれた。
 「相馬に住んで長い家なら、いろんなことがあります。鹿島のお浜下りだって、お産や忌みごとがあった時には、その年は出ないというのが習慣になっている。そういうもんじゃないですか。相馬の甲冑は、ずいぶん出てますね。貧乏したり困った時に、持っていた甲冑を手放す。だけども、鎧の呪いだなんて、書かれたら恥ずかしいでしょうよ。私は信じない。十五年扱ってて何ともないですよ。」

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