十五世紀に入って伊達氏の台頭がみられるようになると、相馬氏との関係は緊張してくる。戦国時代には厳しい攻防を繰り返した。いわば、そうした仇敵どうしにまともに合戦されてももちろん困るが、仲良くされたらなお困るのである。仲の悪い大名どうしを隣り合わせて、ときに境界争いなどを起こさせるのは、統治のうえで上策であった。その結果としての幕府の裁定を「花は相馬に実は伊達に」とうけとめたのは、何よりもパックス・トクガワーナ(徳川時代の平和)のあかしであったが、いずれにせよ、伊達氏の台頭以来、相馬にとって伊達、そして仙台はつねに、意識しなければならない存在だったのである。(岩本由輝「歴史としての相馬」あとがき)
いま相馬は人口4万、仙台は政令都市百万。「花も伊達なら実も伊達に」という意味の皮肉をこめたサブタイトルの「歴史としての相馬」という岩本由輝氏の、歴史観からすれば、旧相馬中村藩の版図に含まれる福島第一原発の事故は、岩本氏の視点からの発言を聞かねばなるまい。
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