敗戦で相馬に疎開
「子供の話なんですが、長女の不二子が生まれた時はともかく、二度目に妊娠した時に、
『今度は跡取りをお産みにならなくては、奥様のお立場がございません』
と言う人がいました。男の子のおかげで、自分の立場を守ってもらおうなんて、いやなことだと思いました。しかし、精神的には大きな負担でした。この辺に男性優位の家族制度の圧力を感じさせられた思いでした。男性に対する反発心がムラムラ思ってくるのでした。男なんて、産んでも産まなくてもいいとも思いました。二人目には、二人目には男の子が産まれました。何だか分からないけれど悔し涙が出てしまったのです。看護婦が「男のお子さんが生まれたから、喜んで泣いていらっしゃる」
と言うのです。私の複雑な気持ちなんか到底分かってもらえなかったのです」
などと、異なる家庭環境で嫁として暮らした体験を、自由闊達な筆で描いている。
昭和十六年には夫恵胤が応召して満州へ行った。十八年には夫の呼び寄せで満州に渡り、牡丹江の宿舎で」今度は四畳半と六畳の二間の長屋住まい」
慣れない台所仕事と子育てでてんてこ舞いの二年間を過ごす」
「私のほうは大体がご飯を炊いたことのない人間です。台所がガスもなく全部石炭で煮炊きをするのでした。ご飯なんか、誰でも炊いているのだから出来るだろうと思っていましたが、まず薪割りからしなければいけない。火を点けたつもりが、消えたりして、本当に困りました」という状態だった。
そして敗戦。引き揚げて、ひとまず相馬へ疎開した。
「翌朝、一番の汽車に乗り込みました。どこでどう乗り換えたのか、ともかく相馬にたどり着いたのも夜でした。途中、東京からの避難者が大きい荷物を担いでゴッタ返している情景も見ました。現相馬市は、当時は中村町といっていましたが、夜桜を見ながら、古くから知り合いの家を訪ねて、ともかく落ち着いた時の有難さは、今でもアリアリと覚えています」
本書には、外務大臣大来佐武郎(国際大学長)が序文を寄せている。また中曽根総理大臣等が巻末に「雪香さんの横顔」と題している。B六判で二二四ページ。千五百円。世論時報社刊。
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