大正7年 東宮殿下のちの昭和天皇が野馬追を車窓に台覧す

大正7年、時の東宮殿下すなわち後の昭和天皇が、東北巡幸の帰途に原ノ町駅を通過している。この機会に郷土の祭り相馬野馬追を披露しようという町の有志の企画で、車窓の殿下に、線路に並列して騎馬行列の隊伍を組んでみて頂いた。殿下は、微笑を浮かべられて満足そうであった、という。のちに殿下から相馬野馬追に対して恩賜の金子が下賜された。当時の新聞記事を紹介する。
「□野馬追祭始る
一度見ぬ者は馬鹿と言はれてる程の相馬名物野馬追祭は本日より原町雲雀ケ原に於て打はるべく其為同町駅は非常の雑踏をなし改札一名にては目に会はざるべしとて十三日迄塩釜駅の改札鋏を臨時借受け人員を増して之れに当らしむることとなれり」
「●東宮殿下……
御微笑を浮べ給ひて
騎馬武者行者を台覧=昨浜通りを御還送=
東北御巡幸の東宮殿下(のちの昭和天皇)には御予定の如く十日午前七時五十分仙台駅発御召列車にて入江侍従長小川武官長、東郷御学問所総裁以下供奉諸員を随へ
▼御還幸の 途に就かせ玉へり日本晴れの御還送日和に沿道各町村は各戸国旗を掲揚して祝意を表し各駅付近は何れも送送の群衆堵を為し大雑踏を極めたるが
▼高齢者等 の跪坐して感涙を老の眼に泛べつつあるも多かりき川崎本県知事藤山内務部長は御召列車に御陪乗仙台より水戸まで奉送申上げたり」
「原町に於る殿下
「▼野馬追ひ行列台覧
▽ 御微笑を泛べ玉ひつつ……
東宮殿下の御召列車は午前九時二十八分原町駅御着婦人会赤十字社員各町村小学校職員生徒地方有志者三千余名の奉迎を受けさせらる御召列車一分御停車の後御発車相成りたるが予定の台覧に供する
▼騎馬武者 の行列は五発の煙火を合図に約千五百騎甲冑姿凛々しく大甕村北原大字北原西谷地々内の鉄道線路南側ポイント付近に松永七五助(編注・七之助の誤りか)小和田(編注・木幡の誤りか)忠太田中善之助岡和田甫伏見勇七諸氏指揮の許に集合し騎士は
▼御発車と 同時に二列横体(編注・横隊)となり陣螺の声を合図に古式により馬上にて敬礼を申し上げたるが御召列車の徐行と共に前列は南軍となりて大和田要氏指揮し陣螺の合図は田中善之助氏にて勇助なる転廻運動をなしたるが
▼此日殿下 には御微笑を泛べ玉ひつつ興あるものに御覧ぜ玉へ御気色いと美はしく拝されたり(原町電話)」

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