大正5年 東久邇宮 野馬追を台覧す

大正5年7月6日の福島民友紙が、東久邇宮は原ノ町に野馬追祭を視察に来訪すると告げている。明治41年に大正天皇が東宮の時、皇族として初めて相馬野馬追祭をご覧になった。このことは地方祭礼である野馬追に箔が着いた。時の町長は松本良七。翌年、町長を辞して東京の家族と合流したが床屋で顔そりした時の感染症のためにあっけなく死去した。松本孫右衛門から福島民報社長のポストを譲られ一時は政友会の福島県の雄であった良七にとっては原町を去る最後の花道であった。
「東久邇宮殿下にて既報のごとく相馬郡原の町野馬追祭へ御成りの為来る十日午後十時三十分上野駅御発車十一日午前五時五分原の町駅御着同町に御一泊の上同祭礼を御覧ぜられ十二日午後十一時二十五分原の町駅御発車十三日午前六時上野駅御着車の事に決定したるが沿道官民多数の歓迎あるは勿論にて福島連隊区同司令部管内御道筋の在郷軍人会分会員は各代表者を付近停車場に派遣し御歓迎申上ぐ可しとの事なり」

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