小高の神燈  明治44年7月15日民報

天にあっては銀漢
地に在っては万燈

雲雀が原の野馬追を観た客は潮の如く小高町に押し寄せた。元来小高町は碌な旅館がない処であるが、もう泊まる処がない、いくら雑魚寝でもできないのだ、強いて割り込んだら単衣も貸さなければ湯にも入れない、止むを得ず汗臭い体を運んで、有名な火の祭りを見ねばならぬ、職務と云ふものは辛いものだ。
△一条の火龍  午後六時半火が点くからと云ふので街頭に出ると。驚くべ可し小高町の中央は端から端迄一条の線をなして火が燃える、綿が木綿に石油を いで、是を針金で縛って別に電線の様に引いた針金の処ひに結んで下げたのである。一時に燃え上がる油煙は濛々天を焦さんとするさまで、勿論向側の人の顔などは見えぬ。イルミネーションと云ふが、とても左様優しいものでない、頗る豪壮で、粗野な若し象の世界に電燈があるなら、其イルミネーションだ。美人は顔が煤けるから此祭りは見物す可らずと思た。
△流燈と爆竹  歩を転じて小高川には幾千の流燈が流れもあへず、水に漂ふて居る。して其傍らには盛なる爆竹の音が耳を聾せんばかり、加ふるに遥か中空には提灯を以て満飾せる櫓に天を彩る五色の煙火が消えては又現はる。河中には提灯を以て満飾せる櫓が出来て、中には人声よりも遥に音の高い蓄音器が、活惚をやる、越後獅子をやる、忠臣蔵をやる、一方では又仕掛煙火が絶えず此河上を横ぎって飛ぶ小高神社に達する道路にも火を立て連ねて置くので、丘下にある半谷清寿氏の塀に映じて恰も、浮城を観る感がある。天も地も河も空も悉く彩火で包まれて、中から美妙が音楽が響いて来る、ああ是ぞ、絢爛たる美は幾千の眼を眩した。
△地上の星華  更に歩を進めて小高神社の丘上を登って南方を見渡すと。ああ壮絶! 快絶! 。勿驚 小高郷の全部広大数里の平野は一面に是れ、燦然たる火である、天上に花を飾る幾千万の星が、故あって直ちに暗中に明滅し、近きは其炎が漂ふが如くに、右も左も皆点々花を欺く美観を呈して居る、ああ僕が翼があったら此星の上を飛翔するだらう、鰭があったら、此花の中を泳ぐだらう

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