フランシスコ会宣教師フライ・ルイス・ソテロ、黒人の鼓手を帯同して陸路、江戸を出立して、白河の関を越えてから会津若松に入り、米沢を経由して陽暦11月8日の火曜日・陰暦10月4日に仙台に到着し、陽暦11月10日の木曜日・陰暦10月6日に青葉城に伊達政宗を訪ねている。そして、政宗の配慮のもと、「(沿岸)航海のための食料や馬、船の必要な物」が与えられ、さらに「同伴する奉行二人と護衛の武士」をつけてもらい、陽暦11月16日の水曜日・陰暦10月12日に塩釜を出港し、沿岸を北上する形で測量を実施する。なお、仙台藩から舟2艘を出してもらっていたことが後で見るようにわかるが、いわゆる黒船、すなわちイスパニア船が測量船として重要な役割を果たしている。(この黒船は江戸から塩釜あたりに回航したものらしい)。航海士ロレンソ・バスケス、記録係アロンソ・ガスケスが乗船していた。越喜来村(岩手県大船渡市三陸町)の沖合にさしかかったとき、

 我等はOquirayの村に着きたり。又一の入江を有すれども用をなさず。此処に着く前住民は男も又女も村を捨てて山に逃げ行くを見たり。

 異人を物珍しく思って各所で寄ってきたこれまでとは異なり、入江は停泊できず、しかも村人が山に逃げてゆく姿を見た。これはまさに津波で「てんでんこ」に、住民が一斉に高所に避難する情景であった。
 忽ち其原因は此処に於て一時間継続せし大地震の為め海水は一ピカ余りの高さをなして其堺を超え、異常なる力を以て流出し、村を浸し、家及び藁の山は水上を流れ、甚だしき混乱を生じたり。海水は此間に三回進退し、土人は其財産を救ふ能はず。此海岸の海難に依り多数の人溺死し、財産を失ひたることは後に之を述ぶべし。此事は午後五時に起りしが我等は其時海上に在りて激動を感じ、又波濤会流して我等は海中に呑まるべしと考へたり。我等に追随せし舟二艘は沖にて海波に襲はれ、沈没せり。神陛下は我等を此難より救ひ給ひしが、事終りて我等は村に着き免れたる家に於て厚遇を受けたり。

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