慶長16年の津波
原町市時代の南相馬図書館に古文書を調査しに来訪した東京大学の地震学研究所の教授に会ったことがある。日本史上の大きな地震の記録を地方の古文書に求めたプロジェクトだという。
残念ながら、原町の図書館は、明治以来の新開地で後発の施設で蔵書も貧弱で、特に近代以前の記録が皆無であることを説明し、相馬の図書館を紹介した。
相馬市の図書館には「相馬藩世紀」という歴代藩主の冠婚葬祭や政治祭礼を中心とする古記録があり、この時には発見されなかった四百年前の1611年すなわち慶長十六年の項目に、たった一行だが「十月廿八日、海辺生波ニ而相馬領ノ者七百人溺死」とあることが、最近の研究で明らかになった。
盛大な「中村移城四百年祭」が準備されていた昨年、予想外の大地震と津波に、慶長の惨事が再現されしまった。慶長年間は、大地震が日本各地に繰り返し、津波被害が頻発した地殻の活動期にあたっていた時期。有名な東海や会津の地震に隠れて、宮城にも相馬にも大津波があって、ほぼ昨年に匹敵する溺死犠牲者を出した事実は最近知られた。
自然史は、湖沼の底に、堆積地層に、大規模津波が運んだ海の砂の層を山に水底に残して、地殻変動の記録を残している。人文史には、古文書という形で人間社会の記憶を残し、それぞれ神の備えとなっている。
歴史も科学も協力することで、さらに深い真理に至る。
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