「雨の相馬」(4)民報 大正5年7月24日
岡和田と佐藤政蔵について言及がある。
私立草津温泉の一騎亭に行いた、岡和田君も髭さんも一緒で、夫れに松浦君も加はった。
また別紙同業の後藤迫洲もこの時の紀行に書いている。
浜路の旅 迫洲生
三
群衆と騒音の中を、同業桑村君と半谷馬城君と、原町の有志数名の案内に、雲雀ヶ原へと向ふ、青草の匂ひ高い原を、汗と雨に濡れ乍ら群衆は永く続いた。知事が反返る可く用意された天幕休憩所へと入って同業子ズラリと知事の側に腰を据える。唯観れば、緑野茫々、数千の騎馬武者は、旗印を青嵐に吹かせ乍ら勇ましく縦横に疾駆する。壮観な旗取りの争奪戦を観て午後三時雲雀ヶ原を辞した。
有志、佐藤政蔵、岡和田甫両名其他が、途中、付近の旗亭に請じて呉れる。
大正5年7月
海岸タイムス社から「海岸」という雑誌を発行 発行人岡和田甫
「今回社業漸くその緒に着き従来の体裁を一変して茲に隔週雑誌の発刊を見るに至りしは社業の一大進歩にして其基礎の健全を立証するに憚からず候海岸と改題せるは血気の少年より真摯なる青年に到達せる元服の意表に有之候」「次号よりは浜三郡に於ける諸般事情の機関として極力文物紹介の任に当るべく候若しそれ其主義主張に至りては飽迄善事の味方悪事の敵従来タイムス社の方針の外ならず候」
「本社は去る(明治)四十三年創立以来諸君に多大の御同情を忝なふし感謝の辞も無之次第にござ候」(大正5年「海岸」)
印刷人 山岡隆利
元町長隆剛の関係者か
広告に原町印刷合資会社 電話四十二
がある。ここで印刷していたと思われる。
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