高橋イクさん

太田村でも犠牲者が出た。
原町の南に位置する丘陵の陰に静かな村が広がっている。
南北に通る旧陸前浜街道沿いに民家が点在する。そのなかに昭和二十年当時、小さな店を出していた高橋さんとうう御宅があった。その家の主夫は、イクさんといって人柄のよい事で近所の人達から愛されいていた。
家にはタツさんという祖母と、母ハツさん、娘の淑子さん(当時小学二年生)などがいた。世帯主は喜一さんという人で、この家に養子に入り大工をしていた。
八月九日、持病の胃病で伏せていた喜一さんを看て、イクさんは言えの中にいた。祖母タツさんも母ハツさんも一緒だった。
娘の淑子さんは隣の中島さんのことろに遊びに行っていた。中陣さんには同級氏がいたからだ。
空襲が始まってからも、病人を連れて逃げるわけにもゆかず、イクさんは中島さんが山の方に頑丈な防空壕を作っていたので、そちらへ一緒に避難することを勧められても、家を守って残ることにした。
孫娘の安否を気遣って、祖母タツさんもそばにいた。母タツさんも姑を置いては行けない。
四人のいる家が爆弾の地響きで揺れた。
窓のガラスが、びりびり震えた。
空襲はし烈になってきた。
「原紡の工場に爆弾がバラバラ落とされるのが、こっちから見えた。上の方のタカだ彦次さんの家も燃えだした」
近所の門馬ミサオさんも当時の様子を回顧する。
「私は義父を荷車に乗せて、鶴谷まで逃げました。義父を松の木の下のおいて、私は萱の中で隠れていました」
イクさんの祖母松本ミノさんは、高橋家に嫁いでいた。
「あの時のことは全部覚えている。むごい話だった。なんぼう、かわいそうだったか、わがんねえなあ、はあ」
高橋タツさんは、ミノさんの葉はであり、ハツさんは姉にあたる。イクさんは、姪なのである。
爆弾の破片が飛び散り、飛行機が機銃掃射しながら上空から眺めるように民家に襲い掛かる。
「表のガラスが割れたんでは危ないから」というので、寝ている喜一さんを囲むようにイクさんは障子を立てかけ、その上に畳を被せた。
それから家の裏の土手に祖母タツさんを連れていった。孫が祖母を気遣い、祖母がまた孫を気遣い、この家族は近所の人がうらやむ円満な家庭であった。
家を守り、喜一さんのかたわらにいた母ハツさんが、裏の二人が防空頭巾を被っていないのに気付いて、布団を持って外に出た。タツさんに布団を被せ、娘尾イクさんに布団を被せたところに、爆弾の破片が飛んで来た。
あっと言うなり、被った布団の上からイクさんの右横腹に断片が刺さった。
一瞬の出来事だった。

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