「十日はちょうど私が当直でした」
本町の大石呉服店主人大石氏は語る。
「終戦のまぎわになると、もう観念したんでしょうかね、軍に連絡しtも全然受付ないんですよ。十日の日もそうです。監視隊本部は、うちの向かいの警察署にありました。「門馬直二郎さんが隊長で、あとの四人が副隊長でした」
四人というのは大石さんをはじめ、打田さん、遠藤雄三さん(中野屋)、岡崎さん(染物屋)といった兵役経験者である。
「私は補充兵として仙台へ入隊しましたが病気がみつかって、つつじが岡の病院で加療して家に戻った年に本部が出来た」
本部につとめた女学校たちは、原町女学校と相馬女学校の生徒だった。
彼女たちの一部は、打田さんの引率で中通りやいわきへ研修に出かけていて不在だった。
「そりゃ勇敢なものでした。空襲になっても、避難せずに仕事を続ける。署長はじめ偉い人たちが地下壕に退避しても、残って畳一枚立ててるだけです。いわとなると女の子たちの方が強いんだね。女の子たちが残ってるのに男の私だけ逃げられやしない。一緒にいましたよ。
駅がさかんにやられているのが見えた。町中も機銃を撃ってくるのが見えるんだから、よくあんな中で仕事ができたと思います。女の子たちは本当に勇敢でした」
本町は、戦前の原町の中核部分で、それだけ家々も密集していた。機銃掃射の跡をとどめる家は今なお多く残っている。
女学生たちに犠牲者が出なかったのは幸いだった。
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