●編集後記 「海岸線」第二次 第三号
私の敬愛する佐藤邦雄氏からの話であるが、氏が川内村の人から聞いたという二つの話。ひとつは、川内村の四十代の女性から聞いた話で、その女性は、もう死んでしまったが以前川内村に移り住んでいた生き残りの戦闘機乗りから聞いたという。そのパイロットは、片道分の燃料しか積み込まれていない飛行機で敵艦に対し艦爆攻撃を行ったのち体当たりしようというやり方で出撃したのだったが、いざ出撃して爆弾を落とし、これから体当たりしようという時に、燃料系を見ると、目盛りは帰りの分まであることを示している。彼は訳がわからず、そのまま帰還したが、後で考えると、彼の機だけ整備兵が余計に燃料を積み込んだらしいと言うのだ。彼はその整備兵の心遣いを感謝して、川内村に住んでいるあいだ中、会う人ごとにその話をしていたのだということである。もう一つは敵機が墜落した時に山狩りをして米軍パイロットを俘虜にしたという話。煙をはきながら近くの山に敵機が落ちたので、すぐに、落下傘で脱出した米兵をとらえるために村人たちは竹槍や鎌を手に手にとって山狩りに出かけた。しばらくして、俘虜としてパイロットは捕らえられ、駐在所の前にひったてられたが、その当時、十代の乙女であった語り手は、次のよう思った。鬼畜米英とまで教えこまれ敵は悪鬼か怪物のように信じていた彼女が始めて見たアメリカの兵士は、まだあどけない年の頃は十八か十九の少年であり、金髪に青い瞳を持った白い妖精か人形のようだ。これが敵兵だなんて信じられない。その白い肌は、荒縄でしばりあげられ、あるいは目に前で竹槍で突かれて傷つき血を流している。かわいそうなほど若いのに、村日地は容赦しない。襤褸に近い身なりの黒い人だかりの中で、小さくなっている白人の少年兵。これがにくい敵だなんて! 話を聞きながら私は、大江健三郎のみずみずしい叙情的な「飼育」の光景を思い浮かべていた。(「飼育」に出てくるのは黒人兵であるが)「今にして思えば、殺されてしまったのかどうかわからないけれど、ええ男だったなあ」と彼女は語ったそうだ。邦雄氏はいつものすてきな笑顔で、そう語ってくれた。
●米兵の俘虜といえば、最近評判の吉野せい作品集の中にも「麦と松のツリーと」というのがある。三百人の俘虜を坑内使役につかせている収容所の通訳Nさんい連れられて、若いブロンドの俘虜がクリスマスで樅の木を探しに来たが、混沌(夫の三野)が「樅はねえなあ、松の木だらどうだ」と言うので枝ぶりのよい松を持って帰る。せいさんは暑い渋茶を一ぱい俘虜にふるまった。昭和十九年冬のことである。
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