2月2日 金 雪
早起きで勤務交代に行こうとしたら、外は白く今盛りと降りしきって居た。久しぶりの雪で、郷里の野や山を自ら想い出されるのである。

2月3日 土 晴れ
12月以来、原ノ町通信所初代所長として、現在の展開部隊の模範とまでに築き上げられた田島小隊長が、本日を以て転任せられる。別離の式に当たって「以後、新所長の下に展開部隊一の通信所とせんように努力せられたい」と。

2月7日 水 晴れ
壕外より爆音が強く響いて来たので、休息旁外に出て見た。今日は何時にない飛行場は活気付いて居る。一人佇んで旋回や着陸を見学して居ると整備の或人が「壕の中を見せてくれ」と頼んで来た。自分は許しはしなかったが。其の時自分は…彼等は通信壕を見たい、自分等は飛行機を見たい。己の環境は常に見慣れて居るから飽きるのだ。此が人としての物事に対する恐ろしき悪癖だ。者に対する初心を忘れてはならない。己の職に誇りを以て任務に邁進すべきであると思う。

2月8日 木 晴れ
大詔奉戴日で、小隊長殿の奉読ありて、詔書当初の感激を新たにする。戦況は波乱万丈を極め、日一日と深刻の度を加え、時に一部国民をしてハラハラせしめる様な境涯に彷徨せしめたる様な事もなきを保証し難い。然し、之は戦争の常態である。特に強国間の戦争に於いて龍虎相争う如く、猛烈惨絶雨を呼び風を起こし、全国力を傾注し、国力を消耗し尽くして始めて結束を見るのである。現在の不自由な不足の中に入らず、今後来るべき秋には現今以上の窮する身になる事は言を待たないのだ。此に一層奮起して己が任務に精進しなければならないと思う。

2月10日 土 晴れ
本日、宿舎移転す。一ヵ月余り、」枯風吹下す中に十字シウを振り上げる手もこごえ、冷気編上靴を通して身に沁む北辺鎮護の将兵を偲ぶ。寒気中に一路作業の完成に努力して来た懐かしの生涯忘るる事なき且つ、不断決行力の尊さ強さを正しく体験して、修養の根基たらしめた此の宿舎に晴れの生活が始められ様として居る。良き環境を得て益々任務の遂行に精励せん。

2月11日 紀元の佳節は天も共に祝してか、冬空晴渡りて白雲青原を走る。自分一同待ちに待ち、憧れて居た外出が許された。 原ノ町を堂々と天下の特幹の矜持を以て「特従」も此の世に存在せるかと大道を闊歩す。新気を営外に求めて意気揚々として帰隊す。 明日より新課程に邁進す。

2月12日 月 曇
夕刻、自分等の戦友が補充として到着した。自分達が出発した時は、教育隊に残留して居た彼等であるが、今当地に来て新たなる希望に燃え国内と言う此の通信勤務に従事し「国内も戦場」と意気を持って、任務に邁進しようとするのが見受けられる。当通信勤務に於いては古兵の自分は此の新たな6名の戦友に対して、勤務要領並に隊の躾に付き指導する責任があると思う。そして、区隊長殿の御教育を共に反省し且つ御恩に報えねばならぬと思う。

 

2月13日(火)晴
本日再度、外出す。映画「男の花道」を見る。軍隊に入って久しぶりであって且つ、自分等に執って良き教育を吾々に植え付けた。中村歌右衛門の  「誇りは何時かは捨てるもの、唯捨て所を選んだ」のだ、と   その人柄又、恩は己が特業にて恩返しをする。金銀や物資で一時の恩返しをしない、その綺麗な心、真の心と心の恩返しに自分等も斯くあらねばならぬと思う。犬と謂えども三日養われた恩人には、三年恩を忘れずと言われて居る。ましてや、万物の霊長と称する人間に於いて一時の恩返しで、それで恩が返せたと思うのは以ての外であると思う。恩は不滅だ。個人の生ある中、否死したる後に於いても消えないものであると信ず。

2月16日(金)晴
本日のこの延数皇土全域では千数機、原ノ町上空だけでも14機による本土空襲によって、吾々は「国内も戦場」の感を生々しく感得し、尊い体験を少なからず持つことができた。翼壮の橋本本部長も言われる様に、天皇帰一国家建設の第一義は先ず、国内を前線同様死の場面におかなければ、国民 本然の姿は出てこない。
グラマン戦闘機の投弾や機銃掃射を目撃し、彼のアッツの玉砕、ペリリューの死闘を続けた忠節の一念に凝り固まった将兵の空を仰ぎては歯軋りし、憤怒の絶頂に達せし心中を偲び、喜んで悠久の大義に生きられた精神に応え必ずや必勝の信念を堅持し、聖戦目的を完遂し以て聖慮を安んじ奉らん。

3月2日 金 曇、みぞれ在り
今朝分隊長殿より、田島少尉殿よりの御伝言が達せられた。要旨は、去日の水戸北部通信所の爆撃されし時の候補生の態度に付き、彼の通信所は軍紀が非常に弛緩して居たからして、大事が生じたのであるから原ノ町の皆も十分注意し、通信兵の本分たる電鍵と共に斃るの精神を持ってあくまでも勤務に邁進せよ。

3月3日 土 晴れ
今日は快晴で、芝取り作業も汗の出る程の暖かさであり、春が来た事を深く感ぜさせられるのであった。暖かい春に日も比島に或いは、硫黄島の戦況は刻一刻と激烈となり、将兵は敵中に切り込みをし、皇国の為、死生を超しての戦斗をして居られるのである。自分は此の恵まれた春の陽を浴びつつ作業の出来得るに感謝し、己が業務に没頭せねばならない。

3月4日日 曇りのち雪
本日より横穴式壕の構築に取着く。去日の水戸通信所の先例に顧みて理想的な壕に着手した。

3月6日 火 雨
夜明けより雨が降り出して中々止みそうもなく、営庭は泥沼の如くに化して、事ある如く往復に不便を感じ排水作業の必要性を痛感す。
安部中隊長殿の巡視があり、訓示があった。
(1) 特攻精神に徹せよ
(2) 明朗
(3) 鉄石の団結を完成せよ。
…と、新中隊長殿の指揮に小隊長殿の下、勤務に邁進せん。

 

3月30日 金 晴
9時半頃、警戒警報発令さる。江口隊に治療に行く為、飛行場の向こう端迄たどり着いたら警報だ。がっかりして大急ぎにて帰る。流行性脳脊髄膜炎の予防接種を行う。右胸は非常に痛む。

4月2日 月 晴
今日午後、飛行場一周をなす。体力増強は此の一日の生活の根源也と思う。駈足は其の最も適せしものと現在迄に聞き又教育されて来た。今、実現せんと思う。

4月3日 火 晴のち曇
本日、外出す。外出先にて浩然の気を養って帰営す。外出中、記念写真を撮る。外出中に於いて特に自分の目を引いたものは、何処に行っても盛んに、防空壕を掘って居る事である。其の作業の中には子供を背にしたお母さん型もあれば、又14歳程の児童も混じり、壮又老人も一生懸命に働いて居るのである。地方人の目覚め来るを知る。

4月4日 水 晴
冬舞い戻ったか、雪が降り出した。昨日までは、火の側を離れて飛行場に遊んだとは思われない。去年の今日は、一路憧れの特幹にと入隊したのである。生家を出て満1か年後、数日に兵長とならんとして居る自分は、今新興の気を以て軍務に精出す。

4月7日 土 晴
小磯内閣は総辞職す。

 

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