最初の犠牲者

 東京湾から東南上面約百二十浬の海上にスプルーアンス提督率いる米機動艦隊がいた。正空母十一隻、軽空母五隻、戦艦九隻を主力とする百二十隻の大艦隊である。
 銃後の人人にとって戦争とは空腹との戦いではあっても、まだ海の彼方のものだった。東京は空襲の洗礼を受けてはいたが、東北の村人の目には「敵」の姿は見えない。誰もが、この日のような惨劇を予想していなかった。
 戦火は遠くフィリピン諸島にあった。
 米軍はしかし、すでに政略的規模で行動を開始していたのである。米機動艦隊の攻撃目標は、東北南部、関東、東海地方にある飛行基地のほとんどが対象とされた。本土の飛行機が飛べない状態にしておいてから硫黄島を奪取するという作戦が開始されたのだ。
 午前六時四十分、第一波の攻撃隊が発信した。アベンジャー雷撃機とグラマン戦闘機からなる十六機の飛行編隊が、北上して行った。当時原町には陸軍飛行場があった。これが攻撃目標となったのだ。
 午前八時四十分。アメリカ空母を飛び立ったパイロットたちは、目印の原町無線塔を発見。すかさず戦闘隊形をとって、低空で原町上空へ侵入してきた。
 同じ午前八時四十分。原町公害にある原町紡織工場では、始業点呼のあと、仕事につこうという時であった。また午からの勤務当番の者たちが朝食を摂っている最中だった。
 米軍パイロットの眼に、飛行場の格納庫が見えて来た。が、しかし隣接する原町紡織工場の建物の特徴的な三角屋根も視野に入っていた。
 機銃がいきなり火を噴いた。
 バリバリバリバリっという激しい音がした。工員たちは初めて聞きなれない爆音に気づいた。いつもの飛行場で練習している日本の戦闘機と違う。「キーン」という金属的なエンジン音だ。
 いきなり守衛所の前のトロッコレールの敷かれた地面に、一列の砂埃が上がった。
 ダダダダッ!
 同時に食堂の内側に引いてあった暗幕を、斜めに引き裂きながら一列の赤い光の槍が飛び込んで来た。
「うわっ」
 何が起こったのか分からなかった。
 食事中であった斉藤和夫さんは、箸を持ったまま顔を上げたところへ、いきなり正面上方から衝撃が来た。
 思わず右手を腹に当てた。
 向かい合っていた笹森久男さんも、頭に鋭い痛みが走った。二人の座っていたテーブルが、血にまみれた。
 斉藤さんの左掌と腹と大腿部に、敵弾が命中したのだ。
 食堂にいた人たちは一斉に外へ飛び出した。西の国見山の上に、飛び去る機影が見えた。
「畜生!」
 誰かが怒鳴った。しかし敵機は悠々と旋回して町の方に飛んで行った。

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