朝の食堂で
食堂で、午後の班が朝食中だった。
斉藤和夫さんは仲間と共に食堂にいた。担任の早川洸先生と、一級下の生徒の引率で来ていた牛渡広身先生も一緒に食事中であった。まぜごなんだった。
朝の明るい活気のあるざわめきが、部屋じゅうにあった。
となりの厨房では大原ヨシ子さんが働いていた。午後の班の人たちの朝食にイモや大根を包丁で刻んでいるところだった。
星スズイさんは女子寮の自室に帰るところであった。大原さんと星さんとは仲が良かった。
大原ヨシ子、十九歳。
星スズイ、二十二歳。
どちらも炊事係に転課して、賄の斉藤さんという夫婦に気に入られていた。
スズイさんは女子挺身隊の中で葉歳年長で、世話好きだったので、仲間たちの良き相談相手として頼られていた。
小松先生も生徒たちを連れて工場に到着していた。
小松先生は食堂の隣の教員控室に入った。
「寒かったでしょう。さあ、こっちへ来て温まったら」
別な勤労奉仕の班を引率してきた人が堰を譲ってくれた。
ストーブに手をかざして、小松先生はその場に腰をかけた。
スプルーアンスは海兵隊が硫黄島における日本軍の陣地の堅固なことについて憂慮し、これに対し上陸前に徹底的な艦砲射撃くぉ望んでいたことをもっともであると考えた。
しかし彼に歯、ほかにもっと重要な考慮すべき事項があり、それは日本本土を基地とする数千機の航空部隊による脅威であり、その吉は硫黄島から七百五十マイㇽしか離れていなかった。スプルーアンスは上陸開始当初の重要な数日間、敵の空軍を制圧するとともに、第五十八機動部隊をもって硫黄島に対する上陸前の艦砲射撃と同時に、アメリカ軍に教委をあたえる日本軍の飛行場に対し攻撃を加える考えであった。
「提督・スプルーアンス」トーマス・B・ビュエル著、小城正訳
夜明けの光がさしはじめたとき、機動部隊はスプルーアンスが後に「およそ考えられる限りの天候の中で、最もひどい」といった悪天候の中で、東京から約百二十五マイㇽの地点にあった。しかしミッチャー指揮下の鉱区部隊は、雨が横殴りにたたきつける飛行甲板から爆音高く飛び立ち、雲が低く垂れこめて暗い荒れ狂う海上へ飛び立っていった。