つぶれた弾丸  林七郎さん

「防空監視の任務で、最もやかましくいわれたのは敵機の高度ということでした。迎撃する場合には相手の高度よりも高い高度から攻撃しますから、相手の高度を必ず知らないといけない。そのために、いちばんやかましく言われた。
どうやって測るかって? そりゃ訓練ですわ。飛行機の大きさは、みんな決まってますから、見えた大きさで判断する。
まず爆音に気を付けています。発見したら進入方向の方角と高度、機数、わかれば機種。それから脱去といって、視野から去った方角です。ずいぶん厳しい訓練をやりました。
軍司令部から飛行機の模型をもらって吊るしておいたり、カード式のもので覚えたり。敵機の前から、下から、横から見た三種類ずつありました。
立川へ研修で行きました時、都内の地下にある東部軍管区本部を見学させて貰ったことがありました。もちろん緘口厳守でしたが、みな下士官以上でしたね。女性がたくさん働いていました。電話の係のようでした。電探の係は別のようでした。私たちが電話で連絡すると電気がつくようになってました。それで全体的な戦況が分かるんですね。
ははあ、ここにこんなふうに伝わってくるんだなあ、と思いました。
私は昭和十に年の九月から二年間、兵隊で中国へ行ってきました。漢口攻撃にも参加して、十四年の八月に帰ってきた。万里の長城で包囲されて、銃眼から飛び込んできた弾であやうく命を落とすとこだった。レンガに一度ぶつかって、はねかえった弾が胸に当たったんで、あ、こりゃ、やられた、死ぬかなと思ったんですが、一度レンガにぶつかったおかげで弾の威力がなくて助かった。
今でもその時のつぶれた弾を記念に持ってますよ。
帰ってきてびっくりしたのは、防毒マスクを使っている自分らの部隊の記事が新聞に載っていたことです。敵が毒ガスを使ったので防毒マスクを使用したと書いてあるもんだから驚いた。毒ガスを使ったのは日本軍の方なのですから」
そんなことで、兵隊に行ったことがあるもんだから、防空監視哨の仕事をさせられたんでしょ。一方的に辞令をもらいまして、できる時から、なくなる時までおりました。
戦争が終わった時は、占領軍に追求されるからというので、書類は全部焼きました。
いつ、何機が空襲に来たか、機種も状況も克明に記録してあったんですが、そういうわけで残念ながら何もありません」

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