昭和13年

原ノ町無電所に東北大航空研究室 本年中に開設せん
昭和13年7月1日民報

「仙台支局電話」東北帝大では工学部電気通信研究機関として

雲雀ケ原の壮観 家重代の甲兜具し 御神旗争奪戦 騎馬武者千騎覇を競ふ

夏草茂る雲雀ケ原で けふ・野馬追祭  7月12日民報
昔を偲ぶ行事三日間

民友広告 13年7月11日民友 非常時軍国の夏

民友 7月12日 常磐線遂に復旧 十日四倉駅発で全通

民友 7月12日 一千年の伝統を誇る 豪華野馬追祭 幕開きの宵乗り盛観

宵乗競馬の賑ひ 原町に満つる騎馬武者 7月13日民友

少年二名馬に蹴らる 原町駅前行列見物中

原町短波
講武の豪華絢爛絵巻 野馬追大祭を二旬の後にひかへた旧藩相馬領内の祭典関係当局者は今年こそはいかなる新味を注入して生彩あらしむべきかに頭脳をしぼってゐる際である時、恒例により七月二日午前十時から「相馬野馬追祭典三社会」が原町本町一丁目小泉屋旅館で開かれる事になり野馬追祭典委員長堀川一正氏によって召集令状が旧藩内に配られました
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鎧兜に銀太刀たばさみ、家伝来の旗を背に馬上颯爽と鉄鞭を賑ふ荒武者勢をば拳上の彩玉をころがす如く自在に指揮するに法螺の貝を以てする祭典だけに、この二日の集会は小田原ならぬ全相馬の評定で応召勇士は「吾れこそは旧相馬藩の古武士にて候」と先祖のプライドを笠に衣る華冑様から在郷給人サテは与力足軽殿の末孫とありチャプリン髭やら雲助ヒゲもゐる
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此日の小泉屋は半洋風の大広間に似てもつかぬ至ってクラシカルな話題が交換されるのである、開会の劈頭、赤陣羽織姿の「お貝役が「ボーボボボン、ボ、ホーン!」とまづ会衆の度肝をぬいでかかるのであるがそれからの評議は口の荒いこと日ッ本一、(毎年の例に徴し)侍大将がどうの、軍者がどう、お使番がどうのと大変なサムライ気分、相馬の天地には此日からほんとうに戦袍つけた古武士気質が翻へってくるらしい
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野馬追大祭を前にして原町新町に「商盛会連名」といふのが出現、雑貨、呉服、食料、はき物、金物、裁縫等十二店が一団となり福引景品大売出しを始めた
期間は二十九日より七月七日まで一等白米一俵(十本)二等銘仙一反(三十本)三等竹行李(六十本)四等バケツ(百本)以下七等まで三千本空籤なし
といふので金三円の買上に対し福引券一本で金五十銭毎に一本の補助券を贈る制度もあるといふ
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鉄道方面では野馬追の団体見物客の来観に備へ予め原町町内旅館業者の収容力を調査したさうであるが団体客としては一千五百名が現在のところギリギリ一杯だといふ尤も素人臨時旅宿の開店もあり此 方面に三千人は収容し得るよみて精々四千五百人位になるが年々この大祭典をほかへて原町の外来客収容力が五千足らずにと「大原町」の体面上大いに考へねばなりませんネ

 

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