原町市
昭和のはじめ、原町には美術グループはなく、美術愛好者は年一回、天覧かいを開くのみであった。神社の祭典のとき(人出の多いとき)展覧会を開いていた。
藤田魁は相馬中学校に原町から通勤していた。
昭和八年(1933)藤田魁らは「原町洋画研究会」を結成した。フジタは日本画を修めていたが、油絵の時代ということで洋画の研究会を作った。創立会員は八名ほどであった。
この研究会が発展して昭和十七年(1942)「原陽会」が結成された。会長に門馬直太郎を推し、副会長藤田魁、目迫豊。(門馬直太郎より聞き取り 平成四年二月)
昭和十二年(1937)3月24日の「福島民報」は「原ノ町の馬追一千年祭執行委員会は、野馬追祭を全国に宣伝するため、相馬中学藤田教諭に野馬追の絵葉書の原画を依頼、絵葉書の印刷が出来上がった」と報じて居る。
門馬直太郎は大正四年(1915)原町生まれ、昭和七年(1932)相馬中学校卒業。同校在学中から戊戌部員として画の研究を始めt、家業の手伝いの傍ら油絵を描き、在京の光風会会員井手宣通の指導を受ける。昭和銃一年(1936)第二十三回光風会展に「兄妹」が初入選。以後、四回同展に出品する。原町市在住。
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