二式双発戦闘機「屠竜」「双襲」

二式複座戦闘機 キー45
第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ45改。愛称は屠龍(とりゅう)。略称・呼称は二式複戦、二式双戦など。連合軍のコードネームはNick(ニック)。開発・製造は川崎航空機。複座という名は同年採用の二式単座戦闘機「鍾馗」と区別するため。
昭和19年11月から、海軍神風特攻隊に続いて、陸軍も特攻機に投入。熟練パイロットを消耗した。教官山本卓美もその一人で「勤皇隊」隊長として原町を出発。「美しき思いでの原町さらば」と日記に遺している。

特攻機陸軍99式軽爆撃機 キー51
終戦の年に栃木県那須野飛行場本部から神鷲205部隊の特攻用に原町、矢吹のほかに磐城飛行場(現大熊町夫沢・福島第一原発)に配備され、日立沖まで進出してくるアメリカ(英豪連合)軍機動部隊に突入すべく待機していたが、先制攻撃で壊滅。夫沢の一機だけが生き延びて終戦の日に「日本はまだ負けていない」のビラを撒いた。
(「福島第一原発ものがたり」常磐線木戸駅駅員の日記より)

陸軍99式襲撃機 キ-51
戦時中の軍の検閲済み絵葉書

日中戦争の始まった昭和12年にデビューし、中国進行を前提に地政学的な陸軍思想が必要としたのは航空からの軍偵察と敵飛行場にある飛行機ならびに地上軍を攻撃対象に想定した航続距離の短い航空機だった。エンジン出力も、操縦士は「オートバイの大きな」ような「ぼろんぼろん」という音が特徴的だったと語る。(八牧通泰氏談)
アメリカ海軍の新鋭グラマン機の「キーン」という音とは世代が違い出力に二倍以上の差があった。

一式戦闘機
第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。キ番号(試作名称)はキ43。愛称は隼(はやぶさ)。呼称・略称は一式戦、一戦、ヨンサンなど。連合軍のコードネームはOscar(オスカー)。開発・製造は中島飛行機。
陸軍を代表する戦闘機として、太平洋戦争の主力機として使用。総生産機数は5,700機以上で、旧日本軍の戦闘機では海軍零式艦上戦闘機に次いで2番目に多く、陸軍機としては第1位。原町飛行場には第65戦隊の最新鋭「隼」3型が30機配備されたが、迎撃できずに破壊された。

 

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