全議員獲得に
一千圓ばらまく
贈賄の阿部町議すらすら陳述
原町々長選挙公判
昨年五月行はれた相馬郡原町々長選挙に際し議員買収不正事件を起し贈賄罪で起訴された原町前町長松永七之助氏以下町議七名前町議一名の公判は六日午前十時半から福島地方裁判所に金裁判長橋本検事係で開廷したが弁護人席には北川、柳沼弁護士以下十二名出廷
傍聴人 も多く近来にない物々しい光景を見せた、裁判長の訊問に対し最初の前町議阿部市助(七○)は
「門馬町長が病気で辞職したので五月中に新町長を決めることになり町政の三町老といはれてゐる私と太田秋之助氏、星栄一氏の三人で五月十二、三日頃相談し第一候補に私の義弟松永七之助、第二候補に志賀千代蔵、第三候補に石川安治を挙げ先づ第一候補の松永に私から交渉したところ最初当人も辞退しわけても家人は一度原町々長になると大抵病気になり永生き出来ないからと反対したが私が熱心に勧めたので結局承地しましたそれにはうまく議員を操縦したり反対されないやうにするに相当金がかかるといふと松永は金を使ってまでも町長になるのはばか/\しいといひましたが町長になるには金を使わなくともなれるが、なった暁金を使はなければ反対しなくともいい問題でも無理に反対する議員があるから駄目だといふと松永は「そうか仕方ない、任せやう」といふことになりました、私らの時は選挙
運動費 も安かったが今では区長選挙でもなんでも選挙に出るには高くなった、まして町会議員であるからまさか五円札一枚も出せまいから全部で千円位ひ撒かなくてはならないといふことになった、どこの町会でも私の目から見ると随分金を使ってゐるのが判る、そこで私の家で松永と二人で政友、民政、中立の議員全部に三十円位までやって懐柔する相談をし誰には幾らと頭割を決め買収は全部私が引受けることにし第一回に五百円次に二百円と三百円で合計千円を松永から受取りました、それからいよいよ金を分配することになり最初に五月十五日頃木幡清、木幡忠太、高橋忠孝の家を訪問し三人に各五十円ずつ提供し義弟の松永が町長になるには何分宜敷く御尽力願ひますと頼んだが忠孝さんの家には折悪しく来客があったのでそんな心配はいらないからといつて返しました 十七、八日頃原町公会堂で木幡忠太に会った際選挙運動費が必要だから我党に
寄付し て呉れと片手を見せたので五百円では多いし五十円では少いので考へてみるから明日こいとその日は別れ次の日きた時三百円を渡しうち百円は忠太自身に八十円を木幡清に残りは適当にやって呉と頼みました、第三回は同月十九日に私が経営してゐる原町駅前の運送店で佐藤貫良に二百五十円、中川与一に五十円を渡しました(中川は検事廷及び予審廷に於ても収賄事実を全然否認し不起訴)それから廿日頃岡和田さんに五十円渡したが岡和田さんは百円貰ったといつてゐる、私は確かに五十円と今でも思ってゐる甫君が来たら金をやれと家内に云つたのは岡和田さんは金があれば皆乾分共に飲ませ食はせしてしまひ
小遣銭 にも不自由してゐるのでそういつたのです、そして家内から五十円を渡しました、同じ廿日頃佐藤儀平に五十円を渡しそれと一緒に私の知らない中野文太といふ議員に百円渡して呉れるやう頼んだが中野文太さんがそんなことをしなくとも松永さんは町長には適当な人だから後援するといつて金は返してきたとかで後になつて儀平さんも自分のと共に百五十円を私に返しました五月末に木幡清さんが忠太から八十円貰ったが忠太から貰ふ義理がないからと返して来たので私から清さんが経営してゐる某新聞支局に寄付の名義で百円やりました、町長選挙が済んでから山本伊助さんに働いてくれた御礼として五十円やりました」
と約二時間に亘り
一千円 をばら撒いて議員を買収したいわゆる原町々会不正事件の真相を語り同人の訊問を終つて午後零時半いったん休憩となる
(福島民報・昭和8年3月21日)
二つの疑獄事件
二つの疑獄事件判決、昨年五月行はれた原町々長選挙に際し議員買収を行った前原町長松永七之助氏以下町議七名、前町議一名の涜職・・・・福島地方裁判所で公判審理中であつたが二十日午後両事件の被告は仲良くならんで・・・金裁判長から左の如く判決を言渡された
原町不正事件
【贈賄】
懲役五月(二年間執行猶予)
阿部 市助
同四ヶ月 松永七之助
【収賄】
懲役五ヶ月(追徴金百円)
木幡 忠太
同五ヶ月(同二百五十円)
佐藤 貫良
同四ヶ月(同百五十円)
岡和田 甫
同四ヶ月(同百円) 木幡 清
同三ヶ月(同五十円)山本 伊助
同二ヶ月(同二年間執行猶予)
木幡 徳松
同三ヶ月(二年間執行猶予追徴金
五十円) 佐藤 儀平
(福島民報・昭和8年3月)