賑わった原町競馬場
草競馬は明治以来続けられてきたが、公認競馬として晴れの舞台となったのは昭和二年のこと。
昭和三年の映画にも写った公認競馬場は、前年に相馬双葉の畜産組合が許可申請中の地方競馬が県知事から許可されたため勝馬投票券(馬券)の販売は大層賑わった。
昭和四年に、原町競馬会では中村の郡役所に理事会を開き、第二馬見所(パドック)を鉄筋コンクリートのスタンドにすることを決め四千円の予算を計上した。
スタンドは昭和五年に登場したが、昭和十六年まで近郷近在の人々の一攫千金の夢をさそったのである。
佐藤政蔵の著書「ひげ郎歌行脚」には、こんな言及がある。
「原町競馬は昭和二年創立。馬場は理想的春秋二回の開催で人気を呼び、馬事奨励の実りをあげてゐる。
一千二百米突の 理想の馬場は雲雀原よ
花と紅葉の折々に 開く原町競馬会」
政蔵は大正十四年から創立時までの原町町長で、公認競馬の産みの親だった。
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