新しい国語教科書の「若菜集」の感動 星千枝

十五日の終戦。
ガラスの破片を掃除することから開始いたしました。
ところで、授業は何をやってよいのか分からない。
それまでの軍国主義教育から、一転して民主主義になりました。
進駐軍がやって参りますと、ただオロオロするばかり。
斉藤校長が英語が堪能だったので、なごやかな関係で終始しましたが、問題は土足でづかづかと校舎へやってきました。
さて、教科書が問題でした。
県の教育課からの命令で、国語と歴史と公民の教科書を墨で塗らせられ、国語などは意味が全く通じない内容になってしまう。それに、試験の紙がないのです。
六枚位の半紙に印刷したものを、その場しのぎに教科書として使用いたしました。
昭和二十一年、原女は相商と合併されるという問題を迎えました。
やがて天皇が人間宣言をしたり、時代は激変しました。
相馬の女学校は、単独で昇格いたしました。
大正十五年に、町立で創立された原女は、県立の相馬商業に吸収合併される。卒業生と在校生とは困ってしまいました。
母校がなくなるのでございますから。
卒業生、在校生が、町や県に陳情いたしました。
新しい中学校ができる。その土地の手配ということもあったのでございましょう。
時代の趨勢でした。昭和二十三年に、原町高等女学校は原町高校に統合。吸収合併されたのです。

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