浜街道筋の停車場争い

文明の利器、陸蒸気がやってくる。
わが町に、わが村に、停車場が出来るかどうか。そこが肝肝要なる爾後の発展の分岐点であった。
常磐鉄道の布設について、その議論が沸騰したのは明治26年のことである。世は、相馬事件という明治の御代の御家騒動で騒然としていた。
「常磐鉄道と相馬事件」それが、この年の新聞を装った最多の記事である。
江戸時代以来、ずっと平穏な田園地帯が、常磐鉄道という一本の予定路線上の停車場選定をめぐって、初めて競争という体験を持った。現代でなら、高速自動車道のインターチェンジやジャンクション設定をめぐる綱引きである。
明治26年9月21日民報に、停車場をめぐる争いについての記事がある。
「浜街道筋の停車場争い 常磐鉄道起工の日も追々切迫するの今日に至りたれば停車場の競争等起るべきハ自然免れるべからざる数なるが此際沿道人民ハ徒らに一地方の利益にのみ拘泥して鉄道全体の利益を忘るる如き所為に出つべからず昨今相馬地方各駅は停車場位置争いの為め往々極端の所為まで出でんとする如き傾きあるハ如何にも慨嘆すべき限りなり今回地方には小鹿派(小高鹿島の合併)原浪派の(原町浪江の合併)二派を見るに至り各自運動金を募集して目下夫れぞれ運動中なりと云ふ小鹿派の主張する所は
鉄道規則には四里以内に一停車場を置くとあり而して中村、富岡、平は天与の停車場なれば是れハ争ふを止めとして中村より富岡迄、富岡より平迄に到れる富産地は先つ鹿島、原町、新山、富岡、広野、四ツ倉の六ケ所なり此の六ケ所に停車場を置くは唯に規則に反せざるのみならず会社の為め地方の為めにも亦両便両利なり之れに反して原浪派の主張する所ハ唯に鉄道規則に反するのみならず后来悪例を作り社会を誤まるに至べし然るに若し会社に於て其説を採用する如くあらハ吾々はさきに会社と約束したる地所売買の約束を解消すべしと云うに在り

又た原浪派の主張する所を略記すれば
鉄道会社に於て四里以内に停車場を置くと定めたるハ不可なり今若し一郡一ケ所の繁栄地を択んで之れを置く事とすれハ便利にして大利あらん今七郡中繁栄の処を挙ふれば宇多郡にて中村行方郡にて原町、標葉郡にて浪江、楢葉郡にて富岡、磐城郡四ツ倉、磐前郡平町、菊多郡植田の七ケ所にて之れに停車場を置くハ目今の急務なり故に若し会社に於て小鹿派の議論を採用するに至らば我々は同盟して地所売買の約束を取消すべしと云ふに在り

斯く両者は各々其意見を固執して言ふ所一理あるものの如し吾人は今今暫く理非の判断をは下さざるべきも両者各々其極端に渉りて地所売買の約束を取消すべしなど云ふに至りてハ大に其不可あるを信ぜざるを得すこの際双方の論者には虚心平気以て其の利害の点に付て公平なる処置を取られんことこそを望ましき限りなれ」

 

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