駅前に緑門が建った原ノ町駅開業式
明治30年の中村駅開業式の記事を探すのは、開業の日づけがあいまいなので探すのに苦労した。翌明治31年の新聞の原ノ町駅開業に関してもしかり。この当時の新聞は、すべての記事がべた記事のように、しかも見出しも同じ大きさの活字なので、日付を手掛かりに、こちらが見つけたい記事を探し出すのが大変である。しかし「それ」は、確かにあった。
当時の駅の開業式がどのようなものであったのか、その概要がわかる。
駅前に緑門を建てて交叉させ、毬燈を飾り付けるというのが一般的だった。それに花火の打ち上げや、地元の踊りの披露。
各駅では珍しい洋食を東京から取り寄せて出したという。初めて体験する人もあったであろう。素朴な町に鉄道がやってきたという、その活気。その賑わいや思うべし。
第一列車が到着したとき、原ノ町駅では撒き餠をして祝ったという。わが町の文明開化が目に浮かぶようだ。
小児の楽隊等あり」とあるのが、今に残る少年楽士隊であろう。若者たちが郷土の自慢の野馬追を披露しようとしたが、降雪の日で、これを中止。獅子舞をおこなったとある。
4月3日の原ノ町駅、鹿島駅の開業式。
5月11日の高駅と小高駅の開業式。高と小高では紛らわしいというので、後日すぐに高駅は磐城太田駅と改名された。
8月23日は、残りの小高から久の浜までの駅の開業式。常磐鉄道の全通である。
いずれも同じような記事のパターンである。同じ記者による記事である。最後の久の浜駅の項目に、24日双葉郡浪江駅にて菊堂生との署名があった。当時の民報社の名物記者で前日、北から各駅を取材し、一泊しての帰途でもあろう。
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