車窓の二十分 佐藤一水
予の乗った汽車は、ハヤ鹿島ステーションに着かうとしているのである。
窓から首を出して、プラットホームの上を眺めると若き老いたる、女、男、三十余人の旅客は汽車に乗るべく、立ちながら待ち構いて居る。
汽車が着くと例の如く駅夫が、鹿島々々と呼び立てる。旅客とドンドン押込んで来た、其の旅客の群には能く、星花君らしい人が僕の前を通り過ぎやうとしたから、ハテ来る筈がないと思ったが、
「オイ星花君ぢゃないか?」
と側面から唐突に呼びかけると、先生一寸驚いた様な顔相、ヂロリと僕の方をみて、
「ヤアー、一水君か…・其后は失敬! 久しぶりだったナ」
とチョイと帽子を取っていつものニコニコもの。
「マア乗り玉ひ……」と僕は東扉を開いたが、生憎、僕のベンチには客が一杯なので余儀なく其次の間へ排入って来た。
師範の制服制帽みかめしく喉のあたりには、炊事係の徽章らしいのをヒカリヒカリさせ、左手にハイカラカバンを抱へ右手に細いステッキを突いて、ヂロヂロと車内を見廻はたしたが、ニッコとまた微笑して僕と背中合せにベンチに腰を下した。
車掌のオールライトに汽笛はピョーと鳴って汽車はゴーッと運転を始めた。
ハテナ星花君が何も今頃不意に見へる筈がない訳だが、是には何か仔細ありだなと不審に思って聞いてみようと思って居ると、反って星花君から先鞭をつけられた。
「君は何処へ……ソーカ中村で今日は何んだナ……アーソーカイ、ジャ二十分間しか同乗が出来ないナ……ドーダ君の方に何か面白い(こ)とでもないかい……ア、僕が僕等矢張り例に依て例の如しでマア俗務多忙といった様な物だ、で紫会へも一向近頃顔出しもしないのさ……」
訪は愈々文壇の方面に進行した。
かと思ふと旧懐談に移って、去年あたりか渋佐浜に月草の同志会を開いたとやら、公開文庫同志会で共に会して飲んだとやら、岡和田泣月にウント吹かれたとやら、語って居るといつかまた話は友人の身の上話に変て、蘇葉の目下は斯うであるの蘇川が近頃少々疎髯を蓄いて、准ハイカラを気取り初めたの、露白の小説はタント興味がうすいの翠柳はだまり家だの紅顔子が町内で義太夫を呻って巡的に御目玉を頂戴したの、と口から出邦題を語って居ると、車中の視線は僕等二人に集まって居ったので、稍恥し気味になったので少々口を噤んで居ると星花君が手カバンの裡から「明星」を出して僕に見ろと勧めた。
手には取って開いたものの読むでもなく読まぬでもなく一枚づつハイでは標題にばかり目を注いでまだ話は絶い(絶え)ないのである、帯の間のウオッチを見ると已に午前十時四十分 中村までにモー五分程しかないのである」
「緑雨の所謂、読むべきものは漸く見べきとなれりとは、此明星の如きもその中だな」
と僕は云ふと星花君も「マア、そんな類だ」と頷かれた併し新派の詩歌を研究せんには宜しく之を参考にすべしだ、君も例に依てむらさき会には尽力し呉れ玉ひ」と云ふので僕もうなづいた。
「明星」を星花君に渡すと、君はその手カバンの裡に収めて頬杖を突張って居眠りをコクリコクリ初めた僕もその呑気に呆れざるを得ないから、星花君!、一ツ高声で呼んでやると汽車は徐ろに進行を停止した、ハヤ中村に着いたのである
「ア君は福島までだっけね、途中は気をつけてねヂャこれで失敬しやう、左様さら」
車窓の裡に、星花君は僕を見て、静に帽子を手にかけてほほ笑んで居る。
※ ※ ※ ※
汽笛一声、汽車は運転を初めた、残るは只 猛々と天に漲る黒き烟である。
これは実に去る五月六日の(こ)とで、僅に車窓に十分間の出来事である。
明治35年5月15日民報
解題 佐藤一水は太田村生まれの文筆家。文中の星花とは、鹿島の文人の雅号らしい。俳句仲間だろう。磐城太田駅から中村駅まで所要で乘った佐藤が、文藝中真野星花なる友人と鹿島駅で出会って中村駅間で文学を中心にゴシップをやりとりしたスケッチを民報に寄稿したもの。
佐藤の本名は安治。文藝趣味のハイカラ生活に憧れてのちに明治末に渡米し、新聞や雑誌の記者として 日系社会で文筆人として生計を立てた。昭和9年に郷里に残した妻の死去で帰国し、民報原町支局の記者となって健筆をふるった。鹿島の星花は不明。岡和田泣月とは、原町の文人で海岸タイムス主宰岡和田蘇葉の目下は斯うであるの蘇川が近頃少々疎髯を蓄いて、准ハイカラを気取り初めたの、露白の小説はタント興味がうすいの翠柳はだまり家だの紅顔子甫にかかわる人物であろう。
同時代の同郷の蘇葉、蘇川、露白、翠柳、紅顔子などの仲間の雅号が出てくるが、郷土の初期の文藝の項目で扱う。ここでは明治の地方の鉄道の光景スケッチとしての日常的寸描として珍しいので掲載した。
記述の上で「い」と「え」の発音が標準語と方言で逆転しているが、相馬地方の特有な訛なのでそのまま収載。