「磯の秋風を読みて」鈴木生(9月6日民報)

「御筆に成りし常磐鉄道試乗余記「磯の秋風」拝読仕候小生宅へ御一泊の当時は多忙中何の風情申上げざりしに拘らず御紀行中過分の御謝辞に与り慙愧の至りに存じ候唯々酒と餠さへあれば田舎にては上戸下にも下戸にも先づまず上々の接待振りと悪しからず御容赦被下度彼の朝宴の席上如水君が其誕生日に相当せりとて特に餠の方へ箸を取られ候ことなど時に取りて中々に興ありしものを貴兄は固より福島新聞紙上如水君御自身まで紀行中に洩らし給ひしはいかがなものに候や貴兄等の朝寝坊は棚に上げて却って小生の朝起きを珍づらかに御吹聴なされ候ハ捧腹絶倒ウワッハハハと御笑ひ申上候の外これなく尚ほ某朱亭入浴の際浴場のお三が浴水加勢に辟易なされ候こと及び朱亭の雛妓を相手にお得意の磯節をうなられ候ことなど如何なる理由にて紀行中に御洩しなされ候や承りたく且つ如水君の紀行にて承はり候ゑば中村までの道中種々の御嬌話も御座候ひしよし他人の朝起などを疝気に病む暇に御自身の事とも取落しなきやう御執筆願ひたく健筆の調法なるに任せて自己の御都合のみ御取扱ひなされ候は余りに筆冥加に尽くる事と存じられ候これより追々苅宿君等との珍談奇話続出すへきを信じて日々を貴紙に接するを相楽しみ居り申し候末筆ながら如水君によろしく匆々不尽
九月三日   小高   鈴木生
菊堂賢兄 侍史」

つまり、菊堂記者が常磐線全通のレポートを書くために特派されて浜通りに一泊したのは、この鈴木生なる人物の家であった。すなわちのちの憲法学者安蔵の父親の家だった。

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