相馬市長は特急ひたちに乗らない
富国強兵の一環としてエネルギーを確保するために、常磐炭田までのトロッコがわりの常磐線が引かれた。その結果としての常磐開発。
今また、第二国土軸として仙台日帰りのついでに、にわかに四全総の結果として、リゾート化の見込みが急浮上してきたあぶくま地域。
それはそれでよい。しかし、たえず考えねばならぬのは、現状から更新される形での加発などでなく、嘔吐を催す国道115号線と、雨が降ると通れない県道で、かぼそく県都とつながっているわれらの地域についてだ。
住民の負託を負うものよ。あなた方に明日はない。地域開発などとの言葉を使う資格はない。
県政の恩恵を等しく浴びる権利を主張するためには、浜通り三区の住民はいつも福島一区の開票状況を気にしなければならないのである。
ならば一区のセンセイに対して、相馬双葉住民は熱いラブコールを投げかけるのだ。
心あるものは聞いて欲しい。
こんな、へんてこな話がありますか。
今や東京へ出るのに相馬市民は、市長をはじめ浜通りを通らない。常磐線の名ばかりの特急、各駅停車的「ひたち号」に乗らないである。
既に予定路線として組み込まれている全国の道路網で、完成していない区間を優先的に埋めてゆくとすれば、我らの期待の新規の路線は、順調に行ってあと三十年たった時に、核管理に失敗して地球がなくなっているかもしれぬ。
例えばの話、今すぐコミュータ空港を作って使用した方がはるかに安上がりの投資であるかもしれない。
三十年後といわず、五年前の日本を振り返ってみてさえ、円高不況だの貿易摩擦だのと、誰が一体今日の状況を予想しえただろう。
三十年後の2017年に、今と同じ日本が続いていると考えるほうが異常である。
政経東北1986「夢は三十年後というあぶくま開発2020年」