昭和14年 木炭バス登場す
昭和14年には木炭バスが登場した。
「却って結構でし 病人など以て来い 福浪線の木炭バス試乗記」
「国策線を走る自動車営業の先駆という訳で、流石省営バス福浪線のー福島、浪江間は既報の如く今月六日(予定)から木炭自動車を採用することになり、その試運転を三日午後に行った、同乗を申込んで定めの時刻福島駅前へ行って見ると「愛国」「理研」「浅川」の三式三様のバスでは菜っ葉服を着た運転手君が火おこしの最中、運ちゃんの格好やまさに列車の機関手図である。
理研、愛国、浅川と木炭自動車の式は三通りありますが、内容はどれも同じです、木炭タンク(タンクもおかしいが、バスに後方に物置の如く付いている。には約四十キロの木炭が詰まるので、福島、川俣なら途中で補給の必要でないでしょう、またイザといふ時のためにはガソリンも持ってゐます
以上の予備知識を得て試運転区間川俣往復に乗込んだのが、一時間三十九分、ガソリン自動車で福島、川俣間は一時間四分だからそれより二十分遅れが標準だといふ
「自動車のやうに爆発が強くないのでショックが非常にやはらかいです」
との宣伝であるが、なるほどその通り、これならば病人でも載れるし、またガソリンのにほいのいやな人でも大丈夫だが、これは余り賞められない、標準は三十五キロ乃至四十キロで出せば五十キロでも出せないことはないさうだが、それは平地での話「前河原」の坂へかかって十キロ以下に落ち、今にもインコしさうである、「こんな時にはー」と早速ガソリンに切りかへグングン坂を突破したが木炭からガソリンへの切りかへはまた簡単なもの、運転手も片手で出来るのは安心だ、伊達吉田へ上って木炭に直ししばらく走ってガソリンの手伝を受け、こんな工合で川俣駅へついたのは二壽かん四十五分、ガソリン車より一分しかおくれない勘定だが、これは試運転車で途中の乗降が一回もないため
途中乗降の時間を見て、福島川俣間に十キロ十五分遅れなら大丈夫
との遠しだ
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さて木炭自動車の経費だが、これはガソリンを使はないでも運転できるといふだけのことで、ソロバンの上では決しておすすめ出来ない、試みに福島川俣往復に要した木炭代は一円四十銭でガソリンの場合より三十六銭ほど高くついてゐる、また乗務員の手当についても考へないとイケないのは、木炭車を発車するには発車前一時間半乃至二時かんからかかって、火おこしをしなければならない勤務時間の延長だ(これは今のところ短縮する方法がない)福浪間では現在十一台の車中半分を木炭にする「計画だがさうすれば上手にやって一ヶ月一万キログラム、まずくても五千キログラム位のガソリンが節約できる見込み、福浪線のやうな山の中を走るバスでは木炭車と謂ふも木炭ばかりでは動かない上りになればどうしてもガソリンを使ふので上手、下手のある訳だが、ガソリンに切りかへてゐる時でも、木炭でも消えてゐないのだから二重の燃料が要ることになる、飽までもガソリン使はないといふだけだ、なほ木炭自動車はどの位使用されてめ(ゐ)るかを調べれば
大阪三十六%、神奈川十二%
きしたところが目墓誌しいもので、東北では火は消えてゐないのだから二重の燃料が要ることになる、宮城には少しもないことを示している
北海道二、五%強、青森二、秋田二、二%強、福島二、二%
山形、福島民報14、浪江毬、請戸
昭和14年2月4日民報