1945年8月、原ノ町駅の跨線橋を登ろうとした瞬間に、米国艦載機グラマンの機銃掃射が疾風のように駅構内を通過して、その直後に機銃弾の薬莢が頭上からバラバラっと雨のように降ってきた。二上家の実家で、出征兵士として、これから千葉鉄道連隊に入営しようという朝のことだった。
兄の二上兼次は、原ノ町機関区の検査掛で、弟の出征祝いのため見送るために休暇をとっていた。
昭和20年8月9日。
戦況は悪化し、アメリカ艦艇が空母を中心に、東北沖にまで迫り、海岸線沿いの常磐線はしばしば米軍艦載機の襲撃を受けていた。現職の鉄路は、戦場と化していた。同僚の機関士の何人かが、機関車に襲い掛かったグラマン戦闘機に銃撃で重傷を負った。
Total Page Visits: 791 - Today Page Visits: 1