明治29年 浪江の停車場位置はいまだ決定せず
同じ明治29年3月13日民報の「浪江通信」には、浪江の停車場の位置については決定せずに憂慮されていると報じている。
「〇浪江通信(九日) 停車場 当地にては目下鉄道工事に着工せんとする際にて地方の者ハ当所に停車場を置かんと寄集り協議中なれども町の上下にて其何れに設置するとも決せざるやにて結局小田原評議に着せざるかと憂慮するものもあり。
明治29年 久の浜停車場も決定
明治29年4月18日民報。
「〇久野浜近況 △常磐鉄道 目下工事中なるが先頃久の浜共有墓地の改葬の件につき紛擾ありしかと結局改葬も済みお寺様ばかり正月をさッしゃり先つお目出たうさて其停車場は久の浜の西に設置の由にて之には頗る賛成し一日も早く落成するを望み居れり」
久の浜は、翌年の明治30年には開通する。
中村も鹿島も停車場位置が決定し、つまり浪江が残っていた。
旧版66年原町市史の常磐線記述は、したがって勝手な空想的記述で、原町に反対が多くて駅の位置選定が遅れたなどという事実は全くなかったことが分かる。
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