明治26年 中村町の停車場誘致運動
中村町では明治26年頃に既に盛んに鉄道誘致運動や停車場位置の検討が行われていたことがわかっている。常磐線の布設が決定される以前の論議である。
「〇常磐鉄道布設に就て(中村町の運動) 去る八日宇多郡中村町有志者十二名余は川原伊勢屋楼上に会して鉄道布設の件に付き協議会を開きたり即ち停車場の位置及び連絡線に就きて伊具、亘理二郡との利害比較其他二三の事を談義し結極運動委員として門馬経員氏外六名を選挙せしか兎角忽卒の事なれば単に有志者のみ会合して同町一般の代表者に非ざるを以て青年実業団体共益会にてハ他町内人士中右の協議に預らさりしものの感情を損して与論の一致を欠くことあるかを憂慮し廿二日同会の臨時総集会を開き種々に協議せし末、馬場重太郎、新妻四郎、高橋昂之助、渡部豊蔵、島田吉次郎、佐藤良助の六氏与論を喚起せる委員に選任し翌廿三日右委員などは有志委員野崎亀吉氏を訪ひて線路測量等の模様及び其他種々の意見を叩き尚ほ一定する事、鉄道に関する運動の為め毎組合各戸協議の上委員若干名を選ぶ事、組合委員協議の上従来の有志運動委員をして全町委員の資格を与ふる事、運動費支出の件等に就きて談義し次に同町有志家星野周助氏を訪ひ前同様の件を詢り尋て新妻町長を訪ひしか不在にて其意を得す一同退散し翌廿四日夜再び同町長を訪問して縷々右の諸件実行の方針を談し遂に同意を得て帰散したり之にて同町ハ略一致の姿に立ち至りたハ着々歩を進むるならむなほ同共益会にては汽車発着の事は同町に永遠に大関係を有し物産運輸の便否等非常なる影響を及ぼすを以て貨物の駄数、同町の形勢、港湾等の関係、戸口の多少、物産の盛衰等を精細に調査して大に運動せむ筈なりといふ」
明治26年10月28日民報