日鉄会社と地元との訴訟と紛擾

次に当時の鉄道用地の買収にかかわる紛擾の例を示そう。
(明治29年2月27日民報)。
「〇常磐鉄道敷地訴訟事件 日本鉄道会社が福島地方裁判所へ控訴したる同事件第二審の弁論期日は三月廿四日にして原被両社の各弁護士は当日出廷す可しと云ふ」

「〇宇多郡磯部村地主の紛擾 宇多郡磯部村草野忠人氏外廿一名は曾て墓地を鉄道会社に寄付したれば会社にては改葬料を贈りたるのみにて無代価にて之を敷地と為す場合と為りたればとて若干の金を支払ふと為りたるに墓地共有者の中十六七名ハ之を新墓地に対して支払われんと希望し各会社に向て請求せし由なるが何故に斯く希望を殊にするやの事情を聞くに全体新墓地は草野氏所有の地所(二反余)中九畝歩に認可されたるものにして新墓地に対して支払ふとすれば其権利は全然草野氏に帰し又旧墓地に支払ふとすれば其金額共有者全体の権利に属するを以て斯く其希望を異にし其運動を別々にするの次第なる由なり去りながら会社にては元無代価にて寄付されたる報酬として該金を支払はんと欲するものなれば無論旧墓地に対して支払ふなる可しと云ふ」(明治29年3月22日民報)

「〇久野浜近況 △常磐鉄道 目下工事中なるか先頃久の浜共同墓地の改葬の件につき紛議ありしかと結局改葬も済みお寺様ばかり正月をさッしゃり先つお目出たうさて其停車場は久の浜の西に設置するを望み居れり」明治29年4月18日民報

「〇元改進党員 今の進歩党員門馬尚経氏は過日来相馬地方に帰へり常磐鉄道一件に付取調べを無し居れりと得る所何程なるか聞かざれど沼田宇源太氏と同一の獲物なる可し去るにても雨敬は獄中に門馬氏の後ろかけを九拝す可きか」(明治29年4月26日民報)

相馬出身の門馬尚経はのちの憲政本党の代議士で、三年後に民報社長となる松本孫右衛門らの後の政友会とは反対党。民報からは徹底的に攻撃された。

「〇常磐鉄道敷地売買の訴訟 過日の紙上に報せし如く日本鉄道会社より宇多郡八幡村島岡利七氏に係る鉄道敷地売渡契約不履行の訴訟ハ原告乃ち日本鉄道会社の代理人ハ法学博士増島六一郎、法学博士小笠原貞信外両三氏、被告島岡氏の代理人は法学博士岡村輝彦氏外一名にして愈々明廿六日中村区裁判所に於て口頭弁論を開く由此訴訟地所ハ近々二畝三歩金額も僅かに十一円二十銭の少額にして何故に斯かる知名の法律家を託せしは甚だ不思議の如く思はるるが其月向後同地方に於ける鉄道敷地売渡しの先例ともなるべきものにして原告勝たば敷地は先約の如く地価にて買収するを得べく被告勝たば其先約は破れて更に価格を増さざるべからざるに至り目下起工中なる東北海岸線の工事には将来非常の影響を及すものなれば斯くハ双方とも僅の事件に一廉の弁護士を雇入るる等非常の奮発をなし居る次第なりと右に付小笠原氏は昨日午後の下り列車にて中村町へ赴けり」(明治29年12月25日民報)

「〇架橋工事決定  双葉郡泉田川なる常磐鉄道路の架橋工事は地元会社との間に於て故障ありたる為め其運びに至らざりしか一昨日に至り相□協議整ひ架橋することに決定したるよし」(明治30年10月5日民報)

「〇常磐鉄道に就きての判決  相馬郡中村町大字中野角野米蔵外百名総代吉田泰重斎藤寅八大谷九十九三名より日鉄会社に対する常磐線布設変更訴願一件は去る二十六日付を以て訴願人の理由相立ハざる旨西郷内務大臣より判決を与へられたり」(明治31年12月8日民報)

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