日清戦争に歩いて行った兵士たち

明治27年には日本と中国が戦争状態に入った。日清戦争である。東北福島県の浜通り地方には、まだ鉄道が走っていなかった。召集された村の壮丁たちは、帝国の兵士として殖民地の最前線に送り込まれてゆく。が、仙台の第二師団まで赴くのに、徒歩で岩沼駅まで歩いてゆき、そこから汽車に乗った。鉄道はこの時代、その基本的性格において軍事上の存在であった。郷土の先覚者たちもまた、鉄道敷設の請願をなすのに、その文の冒頭に「軍事上に重要性を持つゆえに」との文言を掲げて、その早期立地を訴えている。明治維新で禄を失った郷士の中から民権運動家が生まれたが、明治中期の政府弾圧によって終息し時代が安定するに従って地域開発の道に活路を見出すようになる。彼等は手弁当で鉄道期成委員会につどい、草履履きで請願陳情の旅に出た。
この時代、あらゆる文明は歩いてやってきた。「活動写真」も、サーカスも、そしてキリスト教や天理教など新宗教の「信仰」も歩いてやって来た。
そして鉄道開通。鉄道は外部からどっと文明を持ってやってくるだけでなく、村から町から屈強な若者たちを連れだしてしまうものでもあった。

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