幻の福島原町間鉄道の鉄道敷地調査
明治29年当時、まだ原ノ町駅も開業せず常磐線が全通していない時期に、福島と原町を結ぶ鉄道が現実のものとして調査踏破されていた。
これが実現していれば、こんにちの県都福島と浜通りと交流はまた違っていたかもしれない。
あり得たかもしれない幻の鉄道、福原鉄道については明治の新聞に頻繁に搭乗する。当時の有志者に敬意を表したい。民報の記事から関係記事を拾ってみた。
「福島原の町間鉄道企画」
「日本鉄道会社の東北線県下を縦貫し板谷線貫通亦応さに期あり常磐線や岩越線や共に其竣工の速かなるを促しつつある今日 或は郡山平間の貫通を企つるものあり或は野岩線を計画するものあり此所拾数年経が我福島をして東奥の白耳義(べるじむ・ベルギーの意)たるに至らしむ可し 然るに今亦聞く処によれば当郡の有資格者吉野周太郎、鈴木清助、小杉善助等諸氏三十余名は福島町を起点とし保原、掛田、月舘、川俣等を経て原の町に達する鉄道布設の事を計画し昨日信夫郡衙上に会して大い協議する所ありしが右は客年中既に大体の経営を為し予算等も既に予定しある由 乃ち吹くしま原の町間四十哩一里平均三万円の額なりと云ふ 右は当地方に於ける有力なる資産家等の発起にて其他関係各地にも有力者の賛助するものあれば其成立を見る蓋し近かる可しか 尚詳細の報は得るに随て掲載す可し」(明治29年1月5日)
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