初期の鉄道事故
〇車輪の脱線 去る十四日午前四時二十分中村停車場鹿島へ向けたる鉄道工事運搬用臨時列車は中村町大字中野字穴田地内に於て四車丈け脱線したるが怪我等なかりし由尚ほ右は未だ開通に至らざる線路にて土台の落着かざるに原因せしものなりと
(明治30年11月18日民報)

〇番狂わせの大雪
去る十三日より十四日にかけての降雪は県下一般の大雪なりしが殊に浜街道に於いては数年来の大雪にて積ること三尺以上に達し場所に依りては吹溜となって六尺以上に及ぶ所あり汽車の不通其他の被害も渺なからず各所よりの報道を列挙すれば
△汽車の立往生 十三日午後八時五十分海岸線浪江駅発秋葉原行貨物列車は途中長塚にて十四日午前七時三十四分浪江駅を通過すべき上野行急行旅客列車は原ノ町鹿島間に於て同日午前三時四十分浪江駅を通過すべき筈の青森行急行旅客列車は木戸駅に於て何れも立往生したり
△岩沼へ逆行 十四日午前二時原町駅北方二里半の処に停車したる列車は同日午後一時十三分漸く原町駅に到着再び岩沼駅に向かって逆戻りを為したり
△機関車の応援 上野一ノ関間普通旅客列車は十四日午後一時三十分漸く木戸駅着平駅より機関車二両の応援を求めて此より前に停車し居たる直行列車と連繋十五日午前一時富岡駅に到着したり
△ 列車中の仮寝 前記両列車中の乗客は合わせて二百五十名ありしが其中半数は富岡駅の旅館に宿泊其余の半数は列車内にゴロ寝を為して機関車の来援を待ちたり
△消防手の排雪 以上の如く海岸線汽車不通の為め原町、平町、富岡町の消防手各二百名宛は警察署長組頭の指揮の下に総出を為して鉄道工夫に応援し排雪に尽力したりと
△乗客の感謝 原町鹿島間は立往生を為したる列車内に乗合せたる四百余名の旅客は十八時間も寒威凛冽たる風雪中に曝されたるが原町消防手の応援に依って漸く列車の運転を為し得たるを以て大いに其尽力を感謝し乗客一同より金品を寄贈したりといふ
(明治42年1月17日民報)

〇又々脱線(明治42年6月22日民報)
〇汽車馬車を轢く(明治42年8月26日民報)

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