その後の福相鉄道の行方

明治45年、大正7年の鉄道関係記事より、その後の福相鉄道の消息を拾ってみる。原町福島間の鉄道のほかに、福島相馬間鉄道についてもその可能性が模索されている。
「福中鉄道の悲願」(明治45年3月9日民報)
「福中鉄道期成運動委員として福島及び伊達郡の有志某々氏等過般上京せるは既報の如くなるが該運動委員等は本県選出代議士其他の間に夫々奔走する処あり本期議会に向て請願書を呈出する運びにしたりと云ふ」
「福相小名両鉄道建議」大正7年2月14日民報
「▽堀切高岡両代議士の奔走
福島相馬間に鉄道を敷設す可しとは福島市有志並びに相馬地方有志家等の夙に唱道せる処にして両地方多年の懸案となり居り往年福島市の鐸木三郎兵衛氏を始め其他の有志家の運動に依り鉄道院請願せし事あり
▲ 政友会福島支部 に於ても総会の都度之を決議事項の内に加え極力政府当局に敷設を迫る処あり又先般福島商業会議所に於ても此の鉄道敷設の件を決議したるが時期未だ熟せざる為めか今に実現せざる中通選出代議士堀切善兵衛氏は頗る之を遺憾なりとし目下議会開会中たるを好機とし右鉄道の
▲ 建議案を提出し後藤鉄道院総裁にも直接面会し種々の事情を陳述する処ありたる由なるが若し此の鉄道にして敷設されんが沿線地方民の幸福実に莫大なるもののある可く動もすれば其繁栄を他地方に奪はれんとする福島市は之を防止するを得可きのみならず県庁のお膝許たるに恥ぢざるの繁栄を来す可けれな此際極力運動を試むる必要なる可し又浜街道選出代議士高岡唯一氏は
▲ 小名浜築港後に於ける交通機関の完備を期し同港永遠の策として常磐線泉駅より小名浜町に至る鉄道を敷設す可く右の建議案を議会へ呈出し之亦後藤内相に 委細同地方の実情を陳述する所あり極力運動中なりと言へば両鉄道の建議案は勿論議会を通過す可く通過後地方民は決して此の運動を中止する事なく堅忍持久其実現に努力するの必要ある可し」
また同日の同紙面に「要田駅新設に関する陳情」の記事がある。

〇田相間鉄道敷設に関して陳情
「国有鉄道磐越東線船引停車場を起点とし北に走る田村郡美山瀬川の両村を経て安達郡の東隅に走た旭山木両村を過ぎ更に東行して双葉郡津島村を経相馬郡小高若しくは原の町に於て国有鉄道海岸線に接続する距離約四十哩の田相鉄道布設に関し田村郡三春町山田弥之助外各町村有志五十一名連署の上去る十四日鉄道院総裁後藤新平氏宛に陳情書を呈出したり」(大正7年2月20日民報

「日立木停車場・新設されん 高岡代議士尽力」
「常磐線中村駅と鹿島駅との間七哩八分の長距離を有し不便渺なからざるため其中央たる日立木ムラ赤木に停車場設置の議同村長伏見忠外数名連署鉄道院に対し出願せると同時に貴衆両院に対し請願書提出中の所代議士高岡唯一郎氏に依り去る十九日の衆議院本会議に於て採択sられたれば不日事実となりて現はる可く然る上は地方の便此の上んかる可し」大正7年3月28日

昭和2年になって、船引浪江間の鉄道敷設請願が鉄道大臣に提出されている。
「船引浪江間の鉄道敷設請願 県より鉄道大臣へ請願書を呈出す」
「磐越東線船引駅から双葉郡浪江町に通ずる鉄道を敷設するため郡山大森市長其の他沿線となるべき七ケ村町村長がその鉄道布設請願書を県を通じて鉄道大臣に提出したることは既報の如くである」とみえる。

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