海軍一等飛行兵曹 茂木三郎 福島県出身
予科練 特攻隊員の遺言集1
僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかもしれない。
お母さん、良く顔を見せて下さい。
しかし、僕は何んにも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを
泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕のあいさつです。
母上様
「阿見と予科練」~そして人々のものがたり~ 阿見町編纂 より
予科練とは~
「予科練資料館 館長が伝えたいこと」より引用
この遺書は、第18期乙種飛行予科練習生として昭和17年5月
土浦海軍航空隊に入隊し、予科練卒業後、神風特別攻撃隊
第五神剣隊の隊員として、昭和20年5月4日、沖縄に出撃し、
弱冠19才で戦死した福島県出身の茂木三郎一等飛行兵曹が、
母親に残した最後の言葉。
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