日本ニュース 第232号
「神風特別攻撃隊」を映す
昭和19年10月25日に神風特攻隊敷島隊の関隊長に続く二番機で原町出身の中野磐雄一飛曹が、フィリピンで戦死している。
出撃前、車座で最後の打ち合わせをする隊員たち。司令官の激励を受けて水盃を受ける隊員たち。ふりちぎれるほど手を振る基地隊員らの見送る中、砂埃をあげて出撃してゆく零式戦闘機の映像。その出撃の様子がニュース映画として全国の映画館で上映された。
11月21日の毎日(昭和18年東日から改題)新聞福島版に「郷土に雄姿 神鷲のニュース映画に感動」のタイトルで記事が載っている。
〔原町銃後奉公会ほか二団体では十八日昼間二回。夜間一回と町内二映画館で同町が生んだ特攻隊敷島隊中野磐雄飛行兵曹長等五勇士が基地で体当たり訓練をうけ、また晴の壮途を決行する門出等の実況映画を公開したが、観衆は異常な感動を覚えいやが上にも米英撃滅の戦意を昂揚した〕
旭座と原町座の両方で上映された神風特攻隊のニュース映画に原町に人々は食い入るように見入り、熱狂した。特攻隊員は神鷲と賞賛され、終戦時まで新聞をにぎわした。
戦時中のニュース映画については「戦時日本映画小史」(法政大学出版局)が秀逸。同書は戦後映画史をテーマにしているが、「国策映画・日本ニュース小史」を付録として収録。この中で〔初の特攻隊「神風特別攻撃隊」(第232号)が国民の間に複雑で異常な興奮をまき起こし、少年を中心とする純粋な国民の間に感涙を流させるのを見てとった軍は、特攻隊ニュースの利用に力を入れ、これに抵抗して日映当事者が淡々たるコメントを、淡々とアナウンサーにしゃべらせると怒った。「国民を泣かせろ」と要求し、悲哀なコメントを感傷的にアナウンスせよと録音のやり直しを命じた。〕という。