古山愛子の特攻隊員の思い出
兄の正夫の同級生の中野磐雄さんは、毎日うちに誘いに来ていました。学校の先生で、夜学のような勉強会をしていた会に出席して、中学校にはいるための学習の面倒を見てもらっていました。
最後に中野さんに会ったのは、予科練に入ってから、ちょうど正夫兄が東京の学校に行っていて逢えなかった。絣の着物だった。
「俺はいまにみんながあっと驚くようなことをするんだ。」
はっきりと言ったのを姉も私も聞きました。あれが最後に来たときのことでした。すでに決意していたんですね。
フィリピンのオルモック湾の米国艦隊に、神風特別攻撃隊の第一回目の敷島隊の一員として、爆弾を抱いたままゼロ戦で突入したのが、昭和19年10月25日だった。
これを先頭にして、海軍も陸軍も特攻隊を次々に出した。
原町の特攻隊の人たちは、毎日来ましたよ。昼は父も母の店の商売がありましたから、相手できないので、夕方です。
父も母も、特攻隊の人たちには、白いごはんを出していました。もちろん、当時は(コメは統制品)闇でした。するめとか、炒った豆ぐらいしか肴もなかったが、お酒は必ず準備していて出しました。松本酒屋さんから届けて貰っていた。
おさない小学生の妹は、両親の気持ちや世の中のことにまでは思い当たりませんから、素朴に正直に「なんで、兵隊さんには白いごはんを出して、私たちは豆ごはんなの?」と言ったことがあった。
最初、魚本と松永牛乳店と、古山陶器店の三軒で、燃料もないので相談して風呂を交代でわかすことになっていたが、魚本の主人の寛ちゃんは、風呂をたかないんです。それで兵隊さんたちが風呂に入りに来た。
庭に小屋を作って、薪を農家から集めて貯めていました。これも闇でした。当時はお客さんとのつながりがたくさんありましたから。
夕方に、23歳になっていた姉が、勤めていた向かいの消費組合から返ってくるので、兵隊さんたちのお相手も出来ました。
わたしたちは女ばかりでしたが、話をしたり、トランプをしたりしてました。
いつだっけか、お一人が姉の着物を着てみたい、と言って、踊るまねをしてみせたりして、にぎやかに遊んでいました。
佐々木(平吉)さんは、毎日欠かさずこられてました。
愛子さんは、兄正夫や中野の同級生の大島基重氏と戦後に結婚した。我が家の近所で、長男は私の同級生。
大島愛子さん取材で聞いた追加の件。
古山陶器店に遊びにきた特攻隊員たちが遊んだのは、田舎の少女たちの知らないトランプの「ツーテンジャック」など、ハイカラなゲーム。また、紅白二組に分かれてジェスチャーを演じたという。若い隊員たちに気遣って、神州隊の隊長(久木田)は、あまり顔を出さず、上級士官たちも、別の家に行った。
八牧美喜子は、少女時代に松永牛乳店主松永時雄の家に遊びに来た航空兵たちとトランプをして遊んだ時の情景を日記に描いている。昭和十九年五日と六日の様子。
五日 やっと嵐がおさまり午前中坂本さん、寺田さんに葉書をもらったので、しおりやはり絵、小さい折鶴など入れて手紙を出してぼウーとしていた所に寛ちゃん(魚本料理店主)から電話が来て、斎藤さんが明朝出発なさる事をきく。御飯を食べるとすぐ姉さん(叔母)と魚本に斉藤さんとあいにゆく。比島にゆく事、参謀付でゆく事などきく。「後から行きます」と言うのでそのまゝ帰ったが、もうあの時は酔っていたのか、家に来た時ニコニコとしてあまりお話しない方なのに喋るしゃべる、うんとお話するのでおどろいて帰って来た。十時過ぎすぎ魚本はとっくに出たというのに来ない。どこに行ったのかと思って居たら、道がわからなくなったと野村に泊っている人に送ってもらったなんて酔って来た。もう最後と思ってか家に来てもいろいろ話した。このときも「決戦に間に合ってよかった」と何回も言った。それから手帳を出して「今日の二時命令をきいてから眠ろうと思ったけどねむられず、目をつむるとレイテ湾が見え敵艦がぐーっと大きく目の前に浮かんで来て和歌が次々に出て来た」と三十何首か読んできかせてくれた。それで私はその歌をうつさせて下さいって手帳を取り返したら斉藤さんは本気で返して欲しいと言う。それでも私はその歌を書いておきたかった。あまり真面目に返してと言うので軍の大事な事が書いてあるのかもしれないので、良い歌をえらんで手紙をくれる約束で返す。
六日 斎藤さんとうとう行ってしまった。五時の汽車だった。丁度お餅があったのですごく甘くしてお汁粉と鳥の雑煮、うどんも御馳走したかったけど時間もなくて駄目だった。残念に思う。寛ちゃん、岩越さんがお見送りするとて家に来る。斎藤さんに可愛がってもらった三毛も門までお見送り。東の空が紫にうす明るくあけそめて来た時だった。
小山さんも一緒に行ってしまわれる。
小山さんって何と言ったらいゝか言葉の悪い!人だった。初めて家にいらした時、斎藤さん、小山さん、私、姉さんと四人でトランプをした。二十一時(ゲームの名)をしたときどうした訳か私にハートばかり来て二度目もハートを集めたら「こいつハートばかり集めてやがる」だの「馬鹿」だの言う。私と姉さんはおどろいたっけ。
(八牧美喜子「秋燕日記」より11月5、6日の記述から)