日米開戦から50周年の秋 海軍特別攻撃隊敷島隊員  花と散った19歳の青春を追う

カミカゼってなあに?  現代っ子の相高生が異色番組製作

先輩”中野磐雄”(原町生れ相中同窓)を発掘取材  実姉ユキさんの証言などビデオに

十月二十五日は、原町生れで相馬中学の卒業生、海軍少尉中野磐雄の命日である。毎年この日は、原町市の夜ノ森公園にある中野氏の銅像前で追悼顕彰慰霊が行われている。今年も、旧海軍軍人らで結成している海友会や、相馬中学の同窓生らが集る。中野少尉は、カミカゼいわゆる海軍特別攻撃隊の最初の出撃部隊「敷島隊」の一員として敗色濃い昭和十九年に、十九才でフィリピン沖で米艦隊に二百五十キロ爆弾を抱いたゼロ戦ごと突入。自らの命と交換の捨て身の最後を迎えた。

今年は太平洋戦争の開戦から五十年。すでに半世紀をすぎた。歴史的な背景がもう一度、日米の間で問い直されているが、若い世代は真珠湾の開戦、カミカゼ、特攻など現代の日本からは考えられないような大戦争のことをどこまで知っているのだろうか。

相馬高校の放送局員らが、このほど「せめて新しい足袋の一足も」というタイトルで、存命している実姉の木村幸さん(74)(原町市南町)を訪問し肉親として特攻殉職した弟に対する気持ちや証言を取材するなど中野少尉の短い生涯を追うドキュメンタリー作品を制作した。

相馬高校放送部といえば十月十日「青春ビデオメッセージ」という番組に太田健児、志賀規秀、高橋広真の三君が出場。先月二十九日には東京渋谷のNHK放送センターで番組収録。大林宣彦監督と大沢逸美さんの司会で進行するヤング番組。「俺も乗りてえ」という高校生とバイクの問題を扱ったビデオ作品が、全国コンテストでも第四位ぬ入賞するなど評価された。「お母さん今日もよろしく」は全国三位に、「せめて」の方は逸したものの、同世代の若者として同窓の少年飛行兵の短い生涯に感動。現在の平和な日本で自分たち若者が恵まれた時代に生きており、平和の大切さを実感こめて訴えるメッセージになっている。レポーター役の熊谷晴美さんは「せめて」で鍛えられ、コンテスト本番の朗読部門では全国優勝を果たした。

平成3年1991年10月18日あぶくま新報 第234号

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