昭和1 平銀行小高支店開業(小高町史)
昭和2 福島商業銀行小高支店閉鎖(小高町史)
福島毎日2.2.5.相馬銀行の救済に就て

民友2.6.14.第百七銀行小高支店原町出張所 電話一五○番

朝日 2.1.9.相馬銀行 大正11年から休業

東京日日2.1.27.
旧歳末の原町 福引き大繁昌

福島毎日7.野馬追広告
第百七銀行原町出張所
原町銀行
七十七銀行原町支店
東京信用銀行原町支店
平銀行原町支店

朝日2.7.21.
小高信用組合 近く具体化
朝日 昭和2.11.2
相馬銀行の建物その他を競売に

朝日福島版2.12.13.
志賀隆明原町町長就任
銀行問題が未整理にある今日

昭和2朝日
七七銀中村支店 予て中村町に建築中の七十七銀行中村支店は落成したので廿六日から営業を開始する

志賀氏受諾
原町町長就任
相馬郡原町町長に当選した商銀原町支店長志賀隆明氏は十二日就任を受諾した

小高信用組合
十五日開店
相馬郡小高信用組合では十四日をもつて第一回払込を了し十五日から役場内に開店することになつたが来る一月中役員改選を行ひ正規の活動を開始するはず

昭和3 小高商業銀行、百七銀行小高支店破産(小高町史)

福島毎日3.4.4.
原町東節約貯金会の預金問題 今猶支払ひをなさず 会員其無責任に憤慨
福島毎日3.4.7.
百七原町派出所 主任の犯罪 東貯金会の積み立て金 を一万七千円費消

朝日3.5.17.小高商業銀行に破産を申請 小高町役場
福毎日3.6.7.七十七銀行支店設置 浪江

民友3.8.14.相馬銀行また紛争
朝日3.8.15.
小高商業銀行 新規取引停止 大蔵省から命令さる
福毎日3.8.15. 原町銀行結局合併か
新銀設立が不許可となり
相馬郡原町合名会社原町銀行(資本金三万円)は新銀行法の施行による資格を具備しないため同行頭取門馬直記氏等は新銀行を設立して此れと合同し株式会社原町銀行となさん計画の下に大正十三年中大蔵省に対して新銀行設立の申請を行つたが当局の意向としては銀行を整理して新設を許さぬ方針である旨回答があつたので結局同行は他の銀行と合併するより他に途がなくなつたが新法規のため信用もあり基礎も固い同行を他に合併することは地方のため惜しいことであるといはれてゐる
(註。のち昭和8年に七十七銀行に吸収合併)

民友 昭和3.8.14.相馬銀行また紛争

福毎日3.8.16. 営業停止されたる小高商業銀行の内容
藤杢右衛門氏一族の経営で預金総額僅か六万一千円

朝3.9.7.
福電業務大刷新 原町工場を廃止して人事大異動を敢行す
原町工場はソーダ・サラシコなどの製造をしていた工場であるが大戦終了後曹達工業の不振から毎期欠損をしてきた福電にとっては厄介なものであった、常にこれが廃止は目論見ていたが何分にも人事関係から急に廃止するわけにも行かなかったが今回断乎として廃止したものである。

昭和3年11月6日民友夕刊
百七の出張所廃止認可 原町 二日付けで

昭和2年 議事録D
一時借入金决議中銀行変更ノ件
本年五月二十八日一時借入金ノ决議中福島商業銀行原町支店トアルヲ合名会社原町銀行ト変更スルモノトス

昭和2年 石神村議会議事録
《書面報告》
福島商業銀行原町支店預金ニ関スル件
一金五百四拾参圓貮拾九銭
村基本財産金
一金弐百六拾九圓
警備費基本財産積立金
右ハ村預金ニ関シ去ル六月十九日本會ヘ報告后別紙ノ通リ休業ヲ継續ノ通知ニ接シタルモ七月十二日村長同月二十六日收入役原町支店長ト會見交渉セシニ何レモ目今整理中ニテ他ニ便宜ノ良策モナキタメ開業ノ時期迄猶豫セラレタキ旨ノ應答アリ然ルニ最近ニナリ又別紙承諾書添付シ照會アリタルモノナリ
※昭和二年八月十五日全會一致ヲ以テ年賦拂ヲ承諾セサルコト条件ヲ付シ承認ス

《別紙》冩
冠省御取引多年ニ亘リ御懇篤なる御引立御援助に預り深く感銘在罷候處乍突然今回帳簿整理の為臨時休業を致すの止む無きに到り御迷惑相懸け誠に申譯無之御宥恕願上候就ては最善の努力を以て整理に相努め一日も早く開業仕り度考に御座候猶整理進行に就ては誠に厚か間敷候へ共皆様方の格別の御同情を蒙るより外無之何分の御配慮賜り度此段御願旁々重ねて御詫び申上候敬具
昭和二年六月十四日
株式会社
福島商業銀行
石神村長殿
拝啓愈々御清穆奉賀候陳者弊行儀臨時休業以来種々御迷惑相懸け何
共申譯無之御寛怒願上候爾来鋭意整理ニ努力仕候も未だ開店の運びに至り兼ね候就ては重ねての御迷惑は誠に恐縮に不堪候得共更に七月二十六日より向三週間休業仕候間何卒御諒承賜り度此間一層の誠意を以て整理に相努め可申猶整理進行に就ては皆様の格別の御同情御援助に依るの外無之何分の御配慮奉懇願候此段御通知旁々重ねて御詫申上候
敬具
追て弊行相談役として十四名を推薦し鋭意整理に相努め申居候間不遠成案を得度存候
昭和二年七月二十二日
株式会社
福島商業銀行
石神村長殿
謹啓愈御清栄之段奉賀上候陳者弊行儀今回休業以来多大の御迷惑相掛け洵に恐縮の至りに堪へす重々御詫び申上候尓来極力開店促進に相努め漸次進捗致候へ共御承知の通り其関係するところ頗る廣汎にして未た尚ほ御満足申上くるに到らさるは何共申訳なき次第に候聊かにても御迷惑を軽減せしむるには是非御得意様方の深甚なる御同情に訴へ御救援を仰き再興の道に進むの方法より他に無之候就ては豫て御預け相願居候預金は左記條件を以て御認諾相願ひ茲に一切の凖備相整へ一日も早く開業の運びに致度存念に御座候誠に申上兼ね候へ共斯の如き御寛大なる特別の御諒解を賜るに非らされは總てに支障を来すことにも相成可申候間何卒事情篤と御諒察の上此儀曲けて御承諾被成下度幾重にも奉懇候幸に御承諾相叶へ申候はば末尾の承諾証へ記名御調印至急御返戻御
願申度此段御願旁々得貴意候
敬具
小口預金(金百円以下)公共團体其他之に凖する預金者にして基本金及之に類する預金を除きたる預金の三分の一は開店と同時に支拂へ残額は無利子向ふ二ケ年に割賦拂戻すこと
昭和二年八月十日
株式会社
福島商業銀行
石神村長殿
公印 承諾證
拙者儀豫而預入致置候預金三分ノ一ハ貴行開店ト同時ニ受領シ残額ハ無利子ニテ向フ二箇年割賦拂定期預金ニ振替ヘルコト異議ナク承諾候也
昭和二年 月 日
住所
姓名
株式会社福島商業銀行御中

昭和3年 石神村議事録
《報告》
福島商業銀行預金拂戻延期承諾證ニ関スル件
豫而報告致置候福島商業銀行ヘ本村警備費基金貮百六拾五円也預金昨年十一月中左記ノ通リ承諾書提出置キタルヲ以テ御承認アランコトヲ

承諾證
拙者儀豫而預入致置候預金ノ三分ノ一ハ貴行開店ト同時ニ受領シ残額ハ無利子ニテ向フ貮箇年賦割料定期預金ニ振替ヘルコト異議ナク承諾候也
昭和二年十一月三十日
住所 福島縣相馬郡石神村
姓名 村長大和田長治郎

昭和4年 議事録
E
《口頭報告》
一、福島商業銀行引續キ休業ニ付村警備費基本財産金二百六十五円ノ預金未回收ノ件

昭和4年民友
3.16.相馬銀行和解す 破産申請取り戻し

福島毎日
4.5.20.原町信用組合委員指名に非難

昭和4.民友 広告
原町銀行組合

祝相馬妙見社大祭
祭典委員長 志賀隆明
高平村長 村田忠蔵
石神村長 大和田長次郎
大みか村長 今野義意
日本無線
福島電灯
原町紡績
石川組製糸所
原町銀行
常磐銀行原町支店
七十七銀行原町支店
東京信用銀行原町支店

4.5.23.民友
原町信用組合 臨時会紛糾
原町信用組合では去る十六日臨時総会を開き役員総辞職による改選を行った処監事菅頭宗治を新選したる外何れも再選したので去る十八日理事会を開いて専務並に組合長の互選を行ったが意見容易に一致せずして流会してゐたのに一部の役員連中は勝手にも町民から嫌恐されてゐる矢部氏を控さんとした事が温当でないとの事から役員間に一不満を抱くものあり辞表をほのめかしたので是等を種に総辞職を行しめ役員の顔振れを替んものと計画するものあり兎も角一波乱は免れざる模様である

福毎11.23. 中村町でも秋市を開場
福毎12.3. 富岡町恵比寿講市のにぎはい

民報4.11.15.一人一銭の貯金 高平組合の計画
4.10.1.石神の信用組合 役場の向かいに地鎮祭
4.11.11.小高秋市 不況に終わった
4.12.2.原町の秋市終る
4.12.3.不景気打開に原町発展策を有志寄々談合す

福毎12.18. 原町御大典記念貯金 好評を博す 一日一円で五年

昭和4 平銀行小高支店閉鎖(小高町史)
大正15年に開業の後、合併して常磐銀行として定着を図ったが、ついに原町にひきあげた。 昭和5年から終戦まで小高町には銀行が存在しなかった。(小高町史p567)

民友5.2.1.野村商店の裏切り

民友5 祝 相馬妙見神社大祭
原町銀行協会
常磐銀行原町支店
七十七銀行原町支店
原町銀行

福島毎日
11.19.小高の秋市
11.25.原町の秋市 原町の農産品評
11.28.浪江町の十日市
12.9.原町の秋市 近時にない盛況 開市の歴史は浅いが

昭和5年石神村議事録 E11
一、元福島商業銀行ヘ村警備費基本金預金第一回
配当元利金ノ百ノ二・七
金八円十五銭配当アリタル旨報告ヲ了ス

昭和6年

福島毎日6.1.29. 原町信用組合総会
民報6.2.18.原町貧民救済の餅つき
民報6.7.3.原町信用組合いよいよ質屋開業
民報6.8.8.原町信用組合の動産担保貸付大繁昌 係員汗だくの活動

民友 6年8月20日
銀行法の処分は磐実原町の二行 原町銀行は結局合併か

昭和7年 七十七銀行の参入

この年、七十七銀行原町支店開業 七十七銀行史

7.6.16. 湯本無尽 (福島銀行の前身)相馬郡原町松永町7番地に出張所開設許可
福島銀行70年史より

民友広告 合併発展
株式会社常磐銀行原町支店
合名会社原町銀行

民友7.9.7.養蚕組合成らず

民友8.1.6.
原町銀行 七十七銀行支店に
四日より開店
相馬郡原町合名会社原町銀行は本年より実施の新銀行法によりその成行きを注視せられてゐたが昨年末仙台七十七銀行と合併成り両銀行頭取連名でそれぞれ関係筋に通知状を発したがいよいよ従来の原町銀行営業所を株式会社七十七銀行相馬原町支店として面目一新一月四日より開店したので地方金融業者より好感を以て迎へられてる

民友8.1.30.相双税収不振
民友8.1.13.生活苦に喘ぐ 中村
民友8.7月 野馬追広告
常磐銀行原町支店  電話四八番

民報8.7.11.野馬追広告
祝 相馬野馬追祭
日東製糸株式会社磐城出張所
常磐銀行原町支店

民友9.3.31.
高平の信用組合は紊乱

民友9.広告
役場 信用組合事務所新築
小学校増築 落成式
高平信用購買販売利用組合
組合長 紺野栄
外 役員一同

9.7.12.民友
野馬追広告
株式会社七十七銀行相馬原町支店
株式会社常磐銀行原町支店

10.5.30.民友
相互利用組合
賃金労働者
相馬郡大野村に生る
民報10.7.野馬追広告
祝 相馬野馬追祭
原町銀行組合

10.10.9.原町短波 凶作 不作 半作
民報10.11.8.湧く前景気 原町の秋市

11.4.22.民報
花の綻びを他所に
突如・四百名を解雇
原町の磐城田中製糸工場
去就に迷ふ女工さん

12.5.9.民報
原町田中製糸 片倉で経営決る
今井社長等視察

12.7.野馬追広告 報
郡山無尽株式会社 中村出張所

昭和13年
8.20.原町短波 日本酒精会社その後
8.21.南相たより
8.21.原町短波 雑貨店商業組合

13.7.10.友
三年間に三十円 中村信金の国貯奨励
13.7.11.民報 湯本無尽株式会社中村会場

13.6.2.原町方部蚕況
13.6.11.夕 原町の商人大喜び 高倉鉱山業

昭和14年
2.5.高ノ倉鉱域に 新しい鐵会社

14.2.24.相馬郡に専売局出張所 原町か中村に 東京日日
14.3.8.金を政府に売りませう 東京日日
14.3.11.金献臨時取り扱い 原町十七日に

14.7.11.友 福島貯蓄銀行 中村代理店
民報14.7.12.野馬追広告
中村中小商工互融会

民報15.7.11.野馬追広告
福島県相馬郡原町旭町
株式会社福島無尽金庫原町出張所
所長 菊部賢徳
電話二二○番

野馬追広告15.7.11.友
中村町田町(電六一)
福島貯蓄銀行 中村代理店 岡和田安弼
七十七銀行 中村支店

16.7月
旭町七 福島無尽金庫 原町出張所

相馬郡原町南新田字町十三
原町地区商業組合 電話五八番

17.8.18.大東相互銀行原町支店の前身が、原町大字南新田字町22番地に出張所を開設
同日、浪江支店開設

民報19.1.31.中村信金懇話 2.22.総会
19.2.13.南相貯金会議

20.2.16.竹供出で四十万円を 児童貯蓄
20.3.17.原町も倍以上、国民貯蓄

戦後のはらまち金融

民報21.3.4.常陽小高支店が開業

東邦銀行

25.7.1.東邦銀行原町支店 開設
38.5.14.店舗改築
61.3.17.東支店 開設
平成14.4. 東支店を廃止

福島銀行

25.7.17. 福島銀行原町支店昇格
29.3.20. 原町市南新田南東原7番地に市制施行により住居表示変更
36.2.1. 現在地に住居表示変更
福島銀行40年史

労働金庫原町支店

昭和28.1.10. 労金原町支店 開設 福島県労働金庫40年史より
原町市制施行29.3.20.民友
県会議員田原徳
相双商工会議所 会頭松本欽一
原町市公民館 館長阿部信義
原町営林署 署長金沢深
相馬郡養蚕農業協同組合 会長田原徳
原町土木監督所 所長荒川只三
原町紡織株式会社
丸三製紙株式会社 神山広
相馬酪農協同組合 組合長佐藤登
原町たばこ販売協同組合 鳥居喜四三
平和貨物自動車株式会社 渡辺武雄
原町金融団 常陽銀行原町支店・七十七銀行原町支店・東邦銀行原町支店・福島相互銀行原町支店
大東相互銀行原町支店・原町信用組合
原町旅館組合 組合長太田弥兵衛

原町信用金庫

36.12.30.信金原町起工式

田原 徳 県養蚕連会長 ・明治38年1月3日 ・昭和35年12月22日 ・・原町市深野 ・「福島百年の人々」「原町市史」「蚕糸の光」 昭和8年県蚕業学校卒。良く9年には早くも浜3郡蚕種組合長に就任して、蚕種の改良と養蚕業の発展に尽力。22年県議に当選して政治家としての第1歩をふみ出す。26年・30年と連続当選。この間監査委員、経済委員会委員長などに選ばれて、県政の進展に活躍。また23年、石神村深野第1養蚕農協理事に選ばれて以来、相馬郡養蚕連会長、県養蚕連会長、全養蚕連会副長、中央蚕糸協会副会長、前項養蚕信用基金協会理事等、さらに県農業会議会長、全国農業会議副会頭などの要職をつとめた。昭和33年の蚕糸業不況のときには政府・国会に猛運動して200億を投入させるなど、持ち前の政治力を発揮して、蚕糸業はもとより、農民を守る農政を推進した。p310

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