ごあいさつ               二上英朗

これまでワシントンの米国国立文書館で入手したB29によるスパイ偵察写真、雲雀ヶ原の陸軍飛行場の爆撃実況写真や、原町国民学校の被曝直後の校舎が瓦礫となった空爆被害写真、原町憲兵分隊の写真などを入手した。
原ノ町駅の被災状況は、跨線橋に、飴のように曲がった線路が、巻きつくような恰好だった、と当時の目撃者が誰しも語っている情景だが、30年間写真を発掘して未見である。
こんかいの展示品の目玉は、1945年8月9日、10日のアメリカ・連合軍機動部隊艦載機による空爆で破壊された原ノ町駅構内の復元図。
ライフワークである「原町空襲の記録」の改訂版のために、門馬俊之さんに依頼して復元図を描いてみた。原ノ町駅構内の6人の殉職犠牲者のために、後世への歴史遺物として、残したい図です。

昭和20年8月10日は、原町から人がいなくなった日だ。前日の米軍による激しい空襲に驚いた町民が、命の危険を感じて疎開した。町中が瓦礫になった。2011.3.11は、その歴史を再現させたのだ。
戦後の浜通り復興の一大牽引車になったC50機関車は、博物館の庭で歴史を静かに物語っている。貨物を曳いたD51.天皇の巡幸列車を引いた貴婦人C57.特急を引いたC62.原町機関区の光景は、力強い戦後復興の原像だ。
昭和42年の電化以前の石炭による黒煙を吐きつつ驀進する機関車と列車の姿は、きわめて人間くさい。
そして、原ノ町機関区楽団は昭和38年まで、テレビのなかった時代の相馬地方の娯楽の主役だった。
復興期の南相馬の元気を思い起こし、将来への希望を奮起すべく、戊辰戦争から3.11までの歴史上最大戦災の南相馬グランド・ゼロだった昭和20年から「元気な頃」のオールウエイズ昭和30年代を特集展示しました。

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