経 歴 書
2011-3 現在
合資会社小高銀砂工場
 会社の沿革
大正元年(1912 年)、半谷清壽が福島県相馬郡小高町金谷地区に発見した相馬硅砂の開
発により大正3 年5 月5 日合資会社小高銀砂工場を設立いたし、ビリケン印硅砂粉の
商標により硝子原料として製造販売を開始した。
以上、代表社員:半谷清壽
昭和元年(1926 年)商工省がセメント試験用標準砂の規格制定に際して、相馬硅砂を
以て之を製造する研究に成功し商工省規格指定工場として大いに斯界に貢献し、また、
石膏強度およびペイント耐摩耗試験の規格砂としても採用された。
以上、代表社員:半谷清輔
昭和12 年(1938 年)戦争中においては、横須賀海軍工廠、日立製作所、中島航空金
属株式会社、東京芝浦電機株式会社などに硝子原料用並びに鋳物用硅砂として納入。
昭和23 年(1949 年)、平時産業復興発展により下記の営業品目を各界の要望により製造
納入し、その品質の優秀性が認められた。
しかしながら、海外からの輸入硅砂の増加、労働力のコスト高、ブラウンからトラン
ジスターへの転換による高級特殊硅砂需要の減少、為替問題などから、国内硅砂とし
ての競争力の限界により、昭和51 年5 月31 日(1976 年)工場操業を停止することと
なった。しかし、添付「粉体物性図説」の通り、通商産業省による「セメント試験用
標準砂」などとしての規格制定の「相馬標準砂」としての重要資源の活用のため、鉱
業権と地上権の継続保有を行うこととした。(租鉱権設定による原砂の供給を含む。)
以上、代表社員:半谷敬壽
その後は、原砂の販売並びに工場跡地の売却などを行い、現在に至る。
以上、代表社員:半谷 昌、その後、現在の半谷孝壽に至る。
尚、平成23 年3 月の東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、本社事務所並びに鉱
区は20km 圏内にあるところから、休業状態にあり、事務所機能を東京に移した。
主たる営業品目
1. ビリケン印硝子原料用硅砂粉
2. 硝子原料用乾燥硅砂及び水洗コニカル硅砂
3. 耐酸セメント・建材用硅砂・硅砂粉
4. 鋳物用硅砂
5. サンドブラスト用硅砂
6. セメント試験用相馬標準砂、他特殊硅砂
7. 石膏強度試験用規格砂
8. 塗料耐摩耗試験用標準砂
 現在の会社概況
商号:合資会社小高銀砂工場
創立:大正3 年5 月5 日
資本金:3 百万円
所在地:本社:福島県南相馬市小高区東町1-52 電話:0244-44-2040
東京事務所:東京都練馬区早宮3-15-8 電話:03-5912-3567
鉱区:南相馬市内に4 鉱区
株 主:代表社員 半 谷 孝 壽
岩 尾 華 子
滝 美 子
北 村 恭 子
従業員: 3 名(いずれも、避難中)
取引銀行:東邦銀行小高支店
主たる販売先:株式会社山一サンド工業所(租鉱権設定による採掘)
 小高銀砂工場の天然硅砂組成に就いて。
小高銀砂の硅砂は、小高駅より西側の約10 キロより15 キロの阿武隈山脈東方斜面標
高100 米内外の地形に波状に起伏し、鉱床は第三紀層中に表土1.5 米乃至15 米を被覆
して硅砂層(乳白色或いは赤色を帯びた天然硅砂層)を形成したもので、層厚は平均
数十米に達するものと推定され、走向は概ね南北にして東に緩やかに傾斜しているも
の如とし。この硅砂を露天堀により採掘し、工場において水洗磨鉱、粉砕、乾燥、選
別、精製するものである。
その化学成分は、Si02:90.9~99.0%、Al2O3:0.3~2.0%、Fe2O3:0.015~0.2%の範
囲で、粒度は丸味を帯びている。
添付-1 日本粉体工学技術協会・日本粉体工業会編「粉体物性図鑑」からの「相馬標準砂」
添付-2 小高銀砂鉱山の鉱区配置見取図
添付-3 住金鉱業㈱による鉱量推定。(1982 年時点)
以上

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